【タブー】オーソン・ウェルズを一躍有名にした火星人襲来のラジオ放送の音源を聴く! リスナーは実際にパニックを起こしたのか? ヒンデンブルク号爆発事故のラジオ放送の音源!

◼️『宇宙戦争』(The War of the Worlds)は、1938年にアメリカ合衆国で放送されたラジオ番組で、俳優オーソン・ウェルズがH・G・ウェルズのSF小説『宇宙戦争』を脚色し朗読した。

放送をきいた人々が火星人の襲来を事実と信じこんでパニックが起きたという説は、現在では根拠のない都市伝説として否定されている。

「パニック」説をもとにした風刺画。ミュンヘン会談により緊張が高まった現実世界を男性が笑っているが、ラジオドラマをきいてパニックを起こしている(1939年)


◼️概要

1938年10月30日、アメリカのラジオ番組『マーキュリー放送劇場(英語: The Mercury Theatre on the Air)』の中でハロウィン前夜の特別番組として放送された。

番組は、音楽中継の途中で火星人襲来の緊急ニュースが報じられるという体裁になっており、物語の舞台はアメリカ合衆国に実在する地名に改変されていた。

●実際のラジオ放送の音源

この生放送があまりに真に迫っていたため、多くのリスナーは火星人侵略が進行中であると信じこみ、アメリカ各地でパニックが起こったと長く語られてきた。

戦争開始を間近にひかえた当時の緊張した国際情勢がアメリカ国民に「外からの侵略」を警戒させていたこと、混乱して知人へ電話をかけるなど誤情報を拡散させた人々が多数にのぼったこと、などがパニックの原因として説明されてきた。

●ラジオ放送翌日のインタビュー映像

◼️「パニック」説の登場

この放送が「パニック」を引き起こしたとする唯一の学術的出典は、メディア研究草創期の研究者ハドリー・キャントリルの『火星からの侵入』(1940) である。

キャントリルは放送直後の新聞報道をもとに、ラジオのリスナーが火星人の襲来を事実と信じこんで全米で大パニックが起き、大群衆が逃げ回る中で死者まで出る騒ぎとなったなどと主張した。

またキャントリルは、火星人襲来がフィクションである旨を告げる「お断り」をラジオドラマを聞いていた人々の多くは聞きのがし、これがパニックにつながったと説明した。

キャントリルが後年、アメリカ社会心理学界の重鎮となり世界的に著名な研究者となったことから、こうした主張は長く検証されないまま受け入れられ、ハリウッドでも「名優ウェルズ」の実力を裏づける伝説的なエピソードとして扱われてきた。

↑ ラジオ番組を収録するオーソン・ウェルズ(1938年)


◼️都市伝説としての「パニック」

しかし近年の研究ではパニック現象が起きたとする主張は完全に否定されており、番組を事実と信じたリスナーはほとんどいなかったことが明らかにされている。

全国の警察に膨大な量の問い合わせの電話があったことは事実であるが、それ以上の行動が起こったという証拠はほとんどない。

ニューヨーク等で放送を聞いたショックにより病院へ運ばれた人がいたとか、ボルチモアで聴取者が心臓発作を起こした、逃走しようとした市民が交通事故を起こしたなどという話は事後の検証で全く確認できず、多くの新聞に掲載された「猟銃で火星人を待ち受けるグローバーズ・ミルの農場主」の写真も放送翌日にカメラマンの要請で撮られたヤラセ写真であることが判明している。

実際のパニックはごく僅かなもので、当時まだ若いメディアであったラジオに対して、警戒心をあらわにしていた新聞がことさらにバッシングを行ったことが都市伝説化したものだとする説も有力である。

ラジオ番組『宇宙戦争』そのものの聴取率もきわめて低く、わずか2%にすぎなかった。

「ラジオドラマの放送直後、放送局や関係拠点を州兵が厳重警備した」「オーソン・ウェルズや放送局を相手に大量の訴訟が起こされた」といったキャントリルが引用した新聞報道も、まったくの誤報だったことが確認されている。

ウェルズ自身も後年、「パニックが起きたというのは新聞記者たちの思い込みによるでっちあげだった」と回想している。

しかしパニックが起きたとするセンセーショナルな新聞記事があふれ、メディアの中で事実にもとづかない都市伝説が形成されたこと自体は事実である。

またこの放送をきっかけにオーソン・ウェルズはハリウッドで急速に名声を獲得してゆく。

◼️都市伝説形成の背景

メディア研究者の佐藤卓己は最近の著作において、キャントリルの著作に書かれた「パニック」説を紹介する自らのかつての記述を批判し、「本書の記述を鵜呑みにしてきた私自身を含めてメディア研究者の責任は重い。(…)代表的著作を無批判に信用してきたことは、知的怠慢と言うべきだろう」と反省の弁を述べている。

その上で佐藤は、この「火星人襲来パニック」神話がいまも根強いのは、「商業放送や大衆社会への文化批判、ニューメディアへの不信感など、それなりの需要がいまもあるからだろう」と指摘している。

また佐藤は、放送業界にとっても、この都市伝説が「メディアの力が人々を弾丸で撃つように強力な影響力を及ぼす」という「弾丸効果」と呼ばれるメディア理論を補強するものであり、広告スポンサーに自らの力をわかりやすく説得できるため、その信憑性が疑われることなく長く受け継がれてきたのではないかと総括している。

またラジオの社会的役割を調査したアメリカの社会学者グッドマンは、このパニック伝説が、アメリカ社会における知識人と大衆との分断を感じる人々が数多くいるからこそ、その文化的断絶を裏づけるエピソードとして受容され、都市伝説として定着してきたのだろうと述べている。

◼️番組概要

↑ アメリカのニュージャージ−州にある「火星人襲来」記念碑。ウェルズの番組で「襲来ポイント」とされた場所にある。

原作は、19世紀末のイギリスに襲来した火星人の攻撃を描くH・G・ウェルズのSF小説である。これを脚本家とオーソン・ウェルズ、CBSスタッフらが翻案しドラマに使用した。

放送は1938年10月30日の日曜日、夜8時から9時まで放送された。放送の冒頭でアナウンサーが「これからH・G・ウェルズ原作のドラマを放送します」と述べたあとオーソン・ウェルズの朗読が始まり、「地球人はきわめて長期にわたって遠くの星から冷徹に観察されてきた」という原作の冒頭部分が読み上げられる。

続いてアナウンサーによるラジオ放送へ移り、天気予報を伝えたあと、「ニューヨークのパークプラザ・ホテルからの中継」として音楽番組が開始される(これらはすでにラジオドラマの一部である)。

音楽が流れている最中にアナウンサーが割って入り、緊急ニュースを伝える。シカゴ天文台の専門家らが、30分ほど前に火星の表面上でガス爆発のような現象を確認した、という内容である。

再び放送は音楽中継に戻り、しばらく音楽が流れ続けるが、再びアナウンサーが割り込み、きわめて重大な事件が発生したため予定を変更してニュース番組を放送すると述べる。続いてスタジオへ招かれた天文学者らの緊急インタビューが始まる(このうち一人をオーソン・ウェルズが演じている)。

これら専門家の所属は「プリンストン大学」や「シカゴ大学」など実在する名前と架空の名称が巧みに組み合わされていた。

生中継で放送される専門家らの会話の中で、次々と新しいニュースが報じられる。

まずニュージャージー州の農村地帯に隕石のような物体が多数落下したと伝えられ、電話をつないだ現地の一般市民らが、おびえながら街が攻撃されていると証言する。

やがて攻撃が火星から襲来した火星人たちによるものだと断定されると、放送スタジオは一気に緊迫した空気に包まれ、怒号が飛び交うなか、アナウンサーや専門家らが混乱した口調で断片的なニュースを伝えつづける。

ラジオドラマでは実在するアメリカの村や町の名前がくりかえし使われ、発生中の事件を現地から生放送するスタイルを取っていたことが番組の緊張感を高めるのに大きく貢献しているとされる。

当時はヨーロッパの戦場から現地リポートするラジオ放送が始まったころで、緊張した口調で現地の様子を伝えるリポーターや生放送中のスタジオの混乱は、すでに多くのアメリカ市民にとってなじみのあるものだったとも言われる。

またウェルズは、当時世界的な大事件として広く知られていたヒンデンブルク号爆発事故のラジオレポートの録音を俳優によって再収録させ、ラジオドラマの中で使用するなど、ドラマの真実らしさ・緊迫感を高めるため様々な工夫を凝らしている。

◼️その他

ただし、1949年2月にレオナルド・パエスとエドゥアルド・アルカラスがエクアドルのキトにあるラジオ・キトのために制作したスペイン語版では、市内で実際にパニックを引き起こしたと伝えられている。

『警察と消防隊がエイリアンの侵略軍と交戦するために町から急いで出た』というラジオ放送が流され、のちにその内容が事実でないことが明らかになった後、パニックは暴動へと変わった。

何百人もの人々が本放送前から数日間にわたり『エクアドル上空に出現した身元不明の物体』に関する虚偽の報告をし、結果でっち上げに加担したラジオ局の地元新聞オーナー、エル・コメルシオとラジオ・キトを攻撃。

暴動の結果、パエスのガールフレンドと甥を含む少なくとも7人が死亡した。この事件をうけラジオ・キトは1951年までの2年間放送を行わず、パエスはベネズエラに亡命し1991年に亡くなるまでメリダ市に住んでいた。

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