【昭和レトロ】懐かしいアニメソング!あかるいサザエさん〜トムソーヤの冒険〜ドロロンえん魔くん〜明るいなかま〜アクビ娘〜中山千夏さん

◼️サザエさんOP ED 火曜日版

◼️火曜サザエさん あかるいサザエさん

◼️まんが名作劇場 サザエさんとは?

サザエさんは、日曜日の放送以外に、1975年(昭和50年)4月1日から1997年(平成9年)11月11日まで、毎週火曜19時から19時30分に『まんが名作劇場 サザエさん』が放送されていた。

オープニングとエンディングを新規作成した再放送であり、季節に合わせ5~6年前に本放送された話の再放送となっていた。

製作はフジテレビとエイケン。

フジテレビに関しては、編成部の管轄である本放送と異なり映画制作部が担当していた。

再放送の番組としては、異例の23年間という長期間にわたり放送された。

これ以降、番組の定期的な再放送は行われていない。

『火曜ワイドスペシャル』が2時間に拡大された場合及び『FNS歌謡祭』(賞レース時代)などの特番を19時から放送時や野球などスポーツ中継の場合は休止したが、1991年から1993年まではナイター中継が19時30分開始であったためにプロ野球シーズンでも通常通り放送された。

●原作者である長谷川町子死去報道後初となる1992年6月30日の放送回は番組ラストをブルーバックに差し替え、哀悼の意と故人の遺志による放送継続を表した。

本放送と異なり次回予告はカットされていた。

◼️放送の経緯

本放送の人気と長期化に伴い、アニメ制作のエイケンは原作使用料の高騰や仕事が『サザエさん』のみになりつつあったことなどで、将来的に経営困難で製作不可となる可能性が浮上するようになる。

そのため、番組を続けたいフジテレビは救済策の一環として、また他に様々な要因もあり放送を企画した。

そのため、クレジットされていた宣弘社(当時)と本放送を提供していた東芝は当作にあまり関与しておらず、スポンサーは全国ネットのネットワークセールス枠にも関わらず各局全く異なっていた。

●長谷川町子は当初「日曜の放送があれば結構」とこの企画に難色を示すが、当時フジテレビ編成局長だった日枝久による説得の末、長谷川および姉妹社は「主題歌の変更」を条件に放送を承諾。

また、フジテレビは本放送と同額の原作使用料を支払うこととなった。

放送は関東ローカルの予定だったが、フジテレビ側の営業がネットワークセールス枠にしたため多くの地方でも放送されることとなった。

そのため、地方局からは「なぜ再放送なんか回してくるんだ」と不評な中での放送開始となるが、再放送にも関わらず平均視聴率が15%になるなど成功したことで、放送は続くこととなった。

●その後、エイケンが支払っていた本放送の原作使用料をフジテレビが支払うようになり、原作使用料を二倍払うことになったことなど複数の事情から放送終了になったという。

◼️誰よりも遠くへ

◼️ぼくのミシシッピー

🔸インディアンジョー

◼️アクビ娘

アクビ娘の声優はタラちゃんと同じ方

◼️妖怪にご用心

ドロロンえん魔くんのED

原曲の歌は中山千夏さんが歌っていた。中山千夏さんはジャリンコチエの声優でもあり、元政治家でもあった。

◼️明るいなかま

◼️明るいなかま

中山千夏さん

◼️中山千夏さん

とまらない汽車

◼️中山千夏さん