【昭和のカルト曲】聴く前に心の準備をしよう! 吉永小百合(奈良の春日野、うどんの唄)、梅宮辰夫(ウッシッシ節)、青山ミチ(恋のブルース)、平岡精二(謎の女B)、マリア四郎(もだえ)!

●奈良の春日野

吉永小百合

・天満橋から/奈良の春日野(1965年9月、SV-289)

・奈良の春日野

歌:吉永小百合

作詞:佐伯孝夫

作曲:大野正雄

奈良の春日野 青芝に
腰をおろせば 鹿のフン
フンフンフーン 黒豆や
フンフンフーン 黒豆や
フンフンフンフン 黒豆や

男鹿 女鹿は 子鹿連れ
鹿にうめぼし やったらば
プンプンプーン いによった
プンプンプーン いによった
プンプンプンプン いによった

春の鐘鳴る 東大寺
さぞやねむかろ 坊さんも
コクコクコーク こっくりこ
コクコクコーク こっくりこ
コクコクコクコク こっくりこ

もだえ

マリア四郎

・マリア四郎

1947年11月30日 –

歌手、作詞家

本名は宮崎幹夫(みやざき みきお)。

・来歴

鹿児島県出身。

芸名は聖母マリアと天草四郎のイメージの融合からとのことである。

1968年1月25日に発売された『傷恋』(日本コロムビア)はオリコンで最高72位を記録。その他、日本コロムビアからは3枚のレコードを発売。

1970年代に入ってからは、本名を平仮名表記にしたみやざきみきお名義として作詞家としても活躍、1973年2月には自身も『シクラメン・ブルース』(ポリドール)で歌手として再デビューしている。

なお、このレコードのジャケット写真は本人のオールヌードである。

舌を使ったり叫ぶように歌ったり、本当にもだえるように歌ったりと、その癖の有り過ぎるほどの歌い方が特徴的で、『もだえ』(『傷恋』のB面曲)がTBSラジオの『コサキンDEワァオ!』で“コサキンソング”として紹介されている。

曰く「ナヨッとしたホゲ声」という事である。

・主な楽曲

以下は日本コロムビアから

傷恋 (B面『もだえ』) 1968年1月25日発売、SAS-1031

恋情 (B面『恋のふきだまり』) 1968年6月発売、SAS-1119

女の裏町 (B面『あなたの愛を知りました』) 1969年2月1日発売、SAS-1231

以下はポリドールから(『みやざきみきお』名義)

シクラメン・ブルース (B面『海猫』)

※それぞれ、後に1992年 – 1993年に発売された『幻の名盤解放歌集』の日本コロムビア編とポリドール編にも収録されている。

恋のブルース

青山ミチ

・青山 ミチ

本名:八木 フサ子

1949年(昭和29年)2月7日 – 2017年(平成29年)1月)

元ポップ、ロック歌手。

「風吹く丘で」の発売を控えた1966年(昭和41年)11月に覚醒剤で逮捕され、レコードの発売がお蔵入りとなる(後に「亜麻色の髪の乙女」に改題され、ヴィレッジ・シンガーズでヒット・後年、島谷ひとみによるカバーでもヒットした。

●謎の女B

平岡精二とブルー・シャンデリア 

・歌詞

作詞:平岡精二

作曲:平岡精二

謎の女(B) 僕をAとする
AとBがある夜会った暗いある酒場・・・・・・・・
煙草の煙がたちこめている妖しいムード・・・・・・
BはAとチークダンス踊りながら
耳のそばでこんなことを悩まし気に云った
「今夜どこかへ あなたと二人
人しれず 消えましょうよ・・・・・・・・・」



謎の女(B) 僕をAとする
Aは胸はドキ・ドキ・ドキ・・・・・・・・・
あかい唇 くろいアイ・シャドウ
腿の見えるドレスを着て・・・・・・・・・
「それじゃ後で 外で待つぜ
きっと来いよ すっぽかすな」
BはAの手を握ってウインク・・・・・・・・・
やがて夜更けの街を二人は
腕をくんで歩いていた



謎の女(B) 僕をAとする
AはBの部屋にはいった・・・・・・・・・
大きなベット ピンクのカーテン
そして男の上着があった
「さては誰か男がいる
これを仮りに(C)とすると
CはBの恋人かも知れない!?」
Aはおもった 「こいつァ ヤバイぞ」
そこでAは逃げてかえった

平岡 精二(ひらおか せいじ)

1931年8月13日 – 1990年3月22日

日本のジャズミュージシャン、作詞家、作曲家、編曲家である。

日本作曲家協会会員。

1931年(昭和6年)8月13日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。

実業家であり木琴奏者、平岡凞こと初代平岡吟舟(1856年 – 1934年)の孫であり、凞の次男、二代目平岡吟舟(本名・平岡次郎)の次男である。

シロフォン奏者・平岡養一(1907年 – 1981年)、フィギュアスケーター・平岡露子(1913年 – 2012年)の兄妹は父のいとこであり、「養一の長男」とするのは誤り。

初代 東明柳舟(本名・高橋楊子、1882年 – 1949年)は、凞の次女であり、精二からは伯母に当たる。

幼少期、父から木琴を習い、第二次世界大戦後、青山学院高等部在学中の15歳のころ、村上一徳(1913年 – 1963年)による「村上一徳とサーフライダーズ」に参加、プロとしてデビューする。

1951年(昭和26年)、ゲイ・セプテットに加入、1954年(昭和29年)、青山学院大学経済学部を卒業し、ヴィブラフォン奏者として一本立ちする。

1956年(昭和31年)6月、「平岡精二カルテット」を結成、その後、「平岡精二シックステット」に発展、「平岡精二クインテット」を結成する。

渋みのある音色、抑揚の激しい歌で人気を博す。

トランペット、アルトサックス、マリンバなども演奏する。

1958年(昭和33年)、ペギー葉山に『爪』を提供(本作は1964年(昭和39年)に再録音された)。

1964年(昭和39年)、青山学院を舞台としたペギー葉山の代表曲『学生時代』を作詞・作曲・編曲、「平岡精二クインテット」が演奏した。

山下毅雄の映画音楽等でマリンバを多く演奏したのが、平岡である。

山下と出逢うきっかけは、親戚の養一の家の近くに山下が住んでいたことだという。

1990年(平成2年)3月22日、死去。満58歳歿。

うどんの唄

吉永小百合とロイヤルナイツ

・瀬戸のうず潮/うどんの唄(1964年11月、SV-141)同年の主演映画『うず潮』の主題歌と挿入歌。『うどんの唄』はロイヤルナイツ(初期メンバー)との共演。

ウッシッシ節

梅宮辰夫

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