【タブー】鳥山明さんのインタビュー動画! 奥様は元漫画家のみかみなちさん! 漫画家 棚園正一さんの人生を変える!

🟣鳥山明さんとは?

鳥山 明(とりやま あきら)

1955年〈昭和30年〉4月5日 –

日本の漫画家、デザイナー。

愛知県名古屋市出身、清須市(旧清洲町域)在住。

プロダクションは「BIRD STUDIO」(バード・スタジオ)。

血液型はA型。

妻は少女漫画家のみかみなち (1976年デビュー、1985年に引退)

鳥山明さんの奥様 みかみなち さん、

●概要

1978年に『週刊少年ジャンプ』52号にて読み切り作品『ワンダーアイランド』でデビュー。

集英社との専属契約下で『週刊少年ジャンプ』などジャンプ系列誌に作品を発表。

代表作『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』はいずれもテレビアニメ化され、1981年から1999年にかけてフジテレビ系列の毎週水曜日19:00 – 19:30は『Dr.スランプ アラレちゃん』から始まり、『ドラゴンボール』『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボールGT』『ドクタースランプ』と、長期に渡り鳥山原作のアニメが放映されていた。

漫画家としての活動の合間にデザイナーとしても活動し、『ドラゴンクエストシリーズ』などのゲームやマスコットのキャラクターデザイン、プラモデルや車などのデザインを多数手掛けている。

漫画家デビュー以来、地元で活動を行っており、Dr.スランプ単行本の描きおろしページによると、当時は名古屋飛行場(小牧空港)から航空便で東京に原稿を送っていた。

1980年から1990年代の(週刊少年)ジャンプの全盛期を支えた立役者であり、当時編集長を務めた西村繁男は、「『週刊少年ジャンプ』発行部数600万部達成の快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現し得たことは、誰も否定できないだろう」と評価している。

『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』は2022年の現在でも、コマーシャルに起用されたり、グッズが作られるなど根強い人気を博している。

●幼少時代

初代担当編集者の鳥嶋和彦は、「家は貧しかったが両親共にのんびり屋の性格で、食べ物を買うお金がない代わりに、両親は二人でワルツを踊るような人だった」と述べている。

鳥山自身は絵を描くことが好きで、腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていた。

欲しい物があるとそれを手に入れるまで、あるいは興味がなくなるまで絵に描き続ける癖があり、その癖は漫画家になって以降も続いている。

「当時通っていた絵画教室で描いた『101匹わんちゃん大行進』が表彰されたことで自信を持った」と言い、小学校の写生コンクールで数回入賞し、高校時代には美化キャンペーンのポスターで全国高校生の部で入賞している。

妹がいる。よく悪戯をしていて、父親に怒られていた。

尊敬していた漫画家は手塚治虫とウォルト・ディズニーで、『鉄腕アトム』に登場するロボットを毎日いたずら描きしていた。

一番影響を受けたのはディズニーアニメであり、『101匹わんちゃん大行進』にディフォルメの影響を受けて毎日模写をしていた。

幼少時は漫画やアニメに熱中したが、小学校高学年以降は映画やテレビドラマに興味の対象が移り、漫画に触れる機会が無くなっていた。

しかし、絵を描くことは変わらず好きで自信もあったため、愛知県立起工業高等学校(現在の愛知県立一宮起工科高等学校)のデザイン科に進学した。

「高校時代はマンガ研究同好会に所属し、同好会の会長にもなったが漫画を描くことはなかった」と言う。

1974年に同校を卒業した。

●デビューまでの経緯


高校を卒業した1974年、絵を描く仕事に就きたいと思い地元の広告関係のデザイン会社にデザイナーとして就職したが、平然と遅刻を繰り返したり、レタリング作業が主な仕事になり嫌気が差して約2年半ほど経った1977年1月[21]に退職した。

本人は「わずかでも世間の仕組みを知ることができて、無駄ではなかった」と述べている。

退職後1年間はアルバイトでイラストを手掛けていたが、その後は遊ぶ金もなく途方に暮れていたある日、喫茶店で偶然手に取った『週刊少年マガジン』で、新人賞の作品募集の記事を見つける。

入賞すると賞金50万円が手に入ることを知り、23歳にして初めて漫画を描き始めた。

結局、締め切りには間に合わなかったため、1978年1月に『週刊少年ジャンプ』の新人賞である月例ヤングジャンプ賞へ応募作品の『アワワワールド』を投稿する。

投稿したのはギャグ漫画だが、その理由はストーリー漫画と賞金が一緒なのにページ数は半分だったため。

投稿した作品は入賞には及ばないものの、すぐにまた描き上げた鳥山の投稿作品『謎のレインジャック』を目にした『週刊少年ジャンプ』の編集者の鳥嶋和彦は作中の描き文字(擬音、擬態語など、写植以外の文字のこと)をカタカナでなくアルファベットを使用していることや、対象を様々な角度から描けること、絵が丁寧に描き込まれていることにセンスを感じ「今は下手だが頑張れば何とかなるかもしれないから、もっと描いて送ってよ」とアドバイスをした。

この頃は『スター・ウォーズ』のパロディなどを描いており、一部の作品は後にファンクラブの会報に掲載された。

なお、この作品自体はパロディは賞の対象にならない規定により選外になった。

鳥山は厳しくネームのボツ(不採用)を出す鳥嶋のもとで懸命に修行することになる。この間のボツ原稿の総量は、1年で500ページにも及んだ。

デビュー前は「どうせ売れる訳がない」と思っており、ペンネームを使う発想もなく本名で通した。

「鳥山明」という名前は愛知県には数軒しか存在せず、デビュー直後はイタズラ電話がよくかかって来たため、冗談で“水田二 期作(みずたに きさく)”というペンネームを使おうとも考えたが、担当者に「つまらん」とボツにされた。

「本名を使ったことが漫画家になって一番後悔したこと」だと言う。

●Dr.スランプの連載



1978年、『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダー・アイランド』でデビューを飾るも、アンケートの結果は最下位であり、その後『週刊少年ジャンプ』本誌や増刊号で発表した短編作品の人気も、芳しいものではなかった。

鳥嶋に促されて描いた1979年の読み切り作品『ギャル刑事トマト』は、鳥山が本来苦手とする女性を主人公とした作品だったが、評判が良かったため『週刊少年ジャンプ』での掲載が決まった。

1980年に『Dr.スランプ』の連載を開始。

鳥山は当初、自称天才科学者の則巻千兵衛を主役にしようと考えていたが、鳥嶋のアドバイスを受け、少女アンドロイドの則巻アラレを主役にし、千兵衛は脇役にした。

これが功を奏して人気作となり、1981年より『Dr.スランプ アラレちゃん』としてテレビアニメ化され、最高視聴率36.9%を記録、歴代アニメ最高視聴率で3位になるなど大ヒットアニメとなった。

鳥山の地元である東海3県の東海テレビでは関東以上に視聴率が高く視聴率40%超を記録している。

ジャンプ・コミックス第5巻は、『ドラえもん』(第19巻)の120万部を上回り、第6巻は初版220万部を記録した。

連載1年目は、睡眠は3日に1回、最高記録となる6日連続徹夜、ペン入れの記憶がない回があるなどと多忙を極めた。

『Dr.スランプ』連載中の1982年、松本常男(現キャラメル・ママ会長)により鳥山明公式ファンクラブ「鳥山明保存会」が運営開始される。

松本は「最初は『Dr.スランプ・ファン・クラブ』と名付けるはずだったが、トリさ(鳥山明)を見て『保存』するしかない、ということでこの名前になった」と語っている。

●ドラゴンボールの連載



アイディアの不足を理由に『Dr.スランプ』の連載終了を相談したところ、「3か月後に新連載を始めるのなら終わってもいい」と言われ、次回作のネタを固めるために読み切り漫画『騎竜少年』『トンプー大冒険』を描きつつ、1984年8月に『Dr.スランプ』の連載を終了。

同年11月に『ドラゴンボール』の連載を開始する。

当初は西遊記にコメディや格闘漫画の要素を加えた、孫悟空という少年の冒険譚であり、アンケートで反響も無く人気は低迷していたが、ストーリーの調整を経て、格闘大会天下一武道会で人気が出たのをきっかけに、次々に登場する強敵・難敵との戦闘をメインに据えたシリアスな物語となることで人気を獲得し、1986年から1997年まで放送されたテレビアニメシリーズは、平均視聴率20%を維持した。

●性格


人付き合いは苦手
人付き合いが苦手だと公言しており、家族と気の合う友人、信頼できる仕事仲間以外の人物とは積極的に会いたいとは思わないと語っている。

田舎在住であるのも同じ理由からとのこと。

1982年に少女漫画家のみかみなち(1976年デビュー、1985年に引退)と結婚。

出会いのきっかけは、鳥山がイタズラ電話をかけたのが始まりである。

「あのセンスと知識にはかなわない」と妻を評している。


親交がある漫画家に、桂正和がいる。

●趣味・嗜好


モデルガンやプラモデル好き
プラモデル作りの腕前はプロ級で、株式会社タミヤが毎年主催している1/35フィギュア改造コンテストで複数回入賞。

1986年開催の同コンテストでは金賞を受賞している。

また愛知県唯一のプラモデルメーカーファインモールドの社長と懇意であることから、同社関連の仕事もいくつか手がけている。


●ヘビースモーカー


読者からプレゼントされた女性用下着がヤニで黄色くなってしまうほどのヘビースモーカーであり、多い時は1日で3箱、締め切り前は100本以上吸うこともある。

会社勤めを辞めた後、『週刊少年ジャンプ』の新人賞に応募したのも煙草代が欲しい一心からだったと語っている。

その一方、酒は苦手でせいぜいビールをコップ1杯程度だという、

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