【タブー 熊vs人間】関節技の鬼 プロレスラー 藤原喜明さんが熊と戦う映像! 蝶野正洋さんとの対談で当時を振り返る!

🟣プロレスラー藤原喜明さんは、カナダのトロントで、1994年の1月に熊と戦った。

その映像が、TBSで放送された。

今なら危険すぎて放送禁止となるだろう。

また動物愛護団体も黙っていないだろう。

あの頃は、『オールスター感謝祭』(TBS)の初期に毎回出場しており、当時行われていた相撲のアトラクション「大相撲 Gスタ場所」では、毎回藤原とチャック・ウィルソンの一騎討ちが恒例となっていた。

この熊との戦いは、テリー伊藤さんの企画だった。

檻の中で熊と向かい合った際、素早い動きでタックルとパンチを食らった。

これで戦意を喪失、リタイヤしたことで終了したが、後々まで非常に危険な行為、番組として語られている。

🟣藤原喜明とは?

藤原 喜明(ふじわら よしあき)

1949年4月27日 –

日本のプロレスラー。

プロレスラー以外に俳優、声優・タレント・イラストレーター・陶芸家・エッセイストとして活躍している。

関節技の鬼という異名をとり藤原組長の愛称で親しまれている。

🟣エピソード

23歳での新日本プロレス入門であったため、16歳で入門した小林邦昭よりも1週間ほど後輩である。

前座時代は「イラストが得意」「無口」で有名だった。なお、イラストについては、“テロリスト”として脚光を浴びる前から、東京スポーツ刊行の隔週タブロイド誌「ザ・プロレス」で読者投稿の批評コーナーを持っていた。

また、1982年頃の新日本プロレスのパンフレットの選手紹介が写真ではなく藤原のイラストとなっており、各選手の特徴をとらえた秀作で評判だった。

1978年のパラマウント映画『がんばれ!ベアーズ大旋風 -日本遠征-』に、アントニオ猪木の付き人役で出演するが、セリフは一言もなかった。

頭が固く、場外からエプロンに上がってきたところで相手に頭をコーナーの金具にブチ当てられ「カチン!!」という乾いた音が蔵前国技館の二階席最上部にまで届くが平然とし、自ら金具の防護布を取って金具に頭をカチン、カチンとぶつけてリングインして相手に一本足頭突きを見舞うというパフォーマンスを得意としていた。

また、パイプ椅子で脳天をブチ抜かれても平然とし、リングインして一本足頭突きを見舞うという常人にはできないことをやっていた。

「長州襲撃事件」以前には2回だけテレビマッチに登場しており、1982年1月1日に後楽園ホールで開催された『新春スーパー・ファイト』でのカール・ゴッチとのエキシビションマッチと、1983年9月の『ブラディ・ファイト・シリーズ』第20戦における木村健吾と組んでのディック・マードック&バッドニュース・アレンとのタッグマッチがテレビで放送された。

新日本に出戻っていた時期(1986年)に、東芝EMIより「湯の町ひとり」というシングルを出している(ただし、UWF事務所での通信販売のみ)。

1987年のナウリーダーズ(旧世代軍:猪木、マサ斎藤、坂口征二、星野勘太郎、武藤敬司ら)対ニューリーダーズ(新世代軍:藤波、長州力、前田日明、木村健吾、スーパー・ストロング・マシンら)の軍団戦ではナウリーダーズに組み入れられるも、ニューリーダーズの藤波や木村よりも後輩であった。

2009年9月に放送された「アメトーーク 俺たちのプロレスオールスター戦」において、この軍団戦で、藤原から膝十字固めを決められた木村が「いたーい!ダメダメダメ。助けてー!!」と叫びながらギブアップ負けした映像が紹介された。

入場時に花束贈呈が行われていた時代、藤原は花束を受け取るとすぐさま観客席に放り投げていた。

「スポーツドリンク」と称して酒を飲むパフォーマンスがある。酒が入っている状態では饒舌なためトークイベントなどでは酒を用意していることも多い。ただし酒はかなり強く大量に飲んでも泥酔はおろか意識がはっきりしていて会話も普段通り行える。

若いころは日本酒を5合から6合飲んでおり、一番多いときには6日で日本酒を5升飲んだことがある。

しかし胃がんになってからはビールは腹が張るため日本酒やウイスキーにしている。今でも酒は飲んでいるが、2017年の記事によると半年に1回の血液検査では医者から「酒は飲んでないの?」と聞かれるほど良い肝機能の数値がでるという。

巡業先の旅館で連日、ドン荒川、佐山聡らと女風呂を覗きに行った。

プロレスマスコミのインタビューに対し、おふざけが多いことでも知られる。毎年作成された雑誌企画のレスラー名鑑の「抱負」の欄にダジャレをコメントする。またUWF所属の頃に抱負を聞かれて、「PWFのチャンピオンになる」と答えた。

当時、全日本プロレスとUWFの間に接点がなかったことや藤原自身が説明をしなかったことから、謎として残ったが、後に自ら興した団体を「新生UWF・藤原組」から「プロフェッショナルレスリング藤原組」に改称した際に、その略称がPWFとなると気付いたプロレスマスコミが納得して、改めて当時の抱負を紹介した、というエピソードがある。

2001年、「真撃」のリングで小川直也と対戦。得意の関節技で小川を何度もロープエスケープ追い詰めるものの、橋本真也をはじめとした数々のレスラーを葬り去ってきた「初期STO」を4連発で喰らい失神KOしてしまった。

閉所恐怖症であり、24時間テレビで「箱の中身はなんでしょねゲーム」で箱の中身役になるも、恐怖のためウイスキーを飲んで誤魔化していた。

出てきた際に出演者は藤原よりも、ウイスキーを飲んでいたことにびっくりしていた。

漫画家・大橋ツヨシの作品に、彼を主人公とした4コマ漫画『藤原でございます』がある。

作家・増田俊也の自伝的小説「七帝柔道記」には、増田が柔道で得意技にした脇固めは藤原の技術をビデオで繰り返し見て研究し、身に着けたものだと記述されている。

新日本プロレスに度々訪れた道場破りの多くと対戦したと語っている。

プロレスラーという職業に関しては、自分は稼げなくなって金に困ったら自殺すればいいと思っているが、一方で仕事としての不安定さ、ギャンブル性を面白く思っている。

藤原はこれを「動物で例えるなら、ペットになるか、野生で生きるかだ」と2017年の専門誌の人生相談コーナーで述べている。

離合集散が多く、選手の仲違いが話題になることも多かった新日本プロレスだが、藤原は「選手みな仲が良く、いじめもなく、それまでにいたどの職場よりも楽しかった」という趣旨の発言をアントニオ猪木関連本のインタビューで述べている。

🟣藤原喜明 vs 熊

●ニコニコ動画 ↓

https://sp.nicovideo.jp/watch/sm25415302

🟣※暴露※ 藤原喜明VS熊 裏話 蝶野正洋と対談!

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