⬛️大月薫 - 中国革命の父 孫文の日本人妻と孫文の外孫 宮川東一氏とは? –

2019/12/29

大月 薰とは?

おおつき かおる

1888年 – 1970年

中華民国の政治家である孫文の日本人妻。

1898年、神奈川県横浜市の中華街で孫文と初めて面会し、1901年に孫文は薫の父に求婚の申し込みを行ったが、このときには拒否されている。

その1年後、孫文は薫に直接求婚、両名の婚姻が成立した。

1906年5月、二人の間に娘(宮川冨美子)が生まれたが、冨美子誕生の前に、孫文は中国に帰国し、薫とは離婚。

その後、薫は2度再婚している。娘の冨美子は横浜市内の宮川家に養育され、薫は1970年に死去している。

享年82

2008年、冨美子の息子(孫文と大月薰の外孫)である宮川東一は『日本に遺された孫文の娘と孫』を発表している。

慶應義塾大学准教授の宮川祥子は曾孫。

素顔の孫文――国父になった大ぼら吹き

■宮川東一さん:

宮川 東一(みやがわ とういち)

中華民国の政治家 孫文と大月薫の外孫。

1928年 – 

神奈川県出身。

日本の著述家。


慶應義塾大学准教授の宮川祥子は次女。

祖母の大月は横浜市で孫文と結婚し、彼の母•冨美子を生んだ。その後、冨美子は宮川家の養女になった。

彼は30歳頃に自分が孫文の孫である事を知った。

1956年に北海道大学法経学部経済学科(現在の経済学部)を卒業し、国分商店に勤務した。

現在は宮川経営研究室代表で、酒類と加工食品業界に精通する。

2008年に『孫文の娘と孫』という本を書いた。

2009年、新宿で映画『孫文〜100年先を見た男』のトークショーを行って、孫文の史跡と自分の人生成功の方法を語った。

日本に遺された孫文の娘と孫

■浅田春(あさだはる)

1882年 – 1902年

中華民国の政治家孫文の妾。旧字体、淺田春。

⬛️大月薫 関連動画:

https://youtu.be/dxLw9Pbv99A

⬛️宮川富美子さん

1906年5月、孫文と薫の間に娘(宮川冨美子)が生まれたが、冨美子誕生の前に、孫文は中国に帰国し、薫とは離婚。

孫文からの送金も途絶え、父・金次の仕事も不況で、薫は横浜の劇場のチケットもぎりをして家計を助けた。

娘の冨美子は戸籍上は金次の四女(薫の妹)として届け出され、1911年に横浜市内の魚行商人の宮川梅吉家の養女となり、紡績女工を経て、酒業に従事する男性を婿に取った。

孫文は「名前は分からないが、日本に娘がいる」などと友人に話していたという。娘を手放したのち、薫は2度再婚した。3人目の夫となった栃木県足利市の東光寺住職・実方元心との間に2児をもうけた。

冨美子は1955年に自分が孫文の子であることを知り、母親の再婚先である東光寺を訪ね、薫と面会した。薫は1970年に死去。享年82。

2008年、冨美子の息子(孫文と大月薰の外孫)である宮川東一は、『日本に遺された孫文の娘と孫』を発表している。慶應義塾大学准教授の宮川祥子は曾孫。