弘法大師 空海! 台湾の中国語版Wikipediaの記述にある出生地や母方の渡来系氏族 阿刀氏について! 出生地はどこか?

🟣空海の出生地は、江戸時代に、現在の香川県の善通寺と香川県仲多度郡多度津町の海岸寺で、論争となり、最終的に嵯峨御所が、善通寺を出生地とした。

善通寺は父方の佐伯氏の領地であり、海岸寺は母方の里だった。

出産は母方の里でやると考えるのが通常であったから母方の家があった海岸寺で生まれた可能性の方が高いだろう。

●海岸寺

●善通寺

🟣文化年間(1804年から1818年)には、白方屏風浦が空海の誕生地とし海岸寺が誕生所と名乗ることを不服とした善通寺との間で誕生所争いが勃発し、ついには江戸幕府の寺社奉行をも巻き込んだ。

文化13年(1816年)に嵯峨御所の「善通寺は誕生所で海岸寺は弘法大師出化初因縁の霊跡と称する」との裁決を受ける事態が生じた。

🟣多度津町の海岸寺と善通寺の位置関係

●距離にして6.2Km、徒歩で1時間半かかる。

🟣台湾の中国語版Wikipediaの記述を見てみる。出生地は屏風浦、これは海辺の海岸寺のことである。また母方の阿刀氏が渡来系氏族であることも書いてある。

●台湾の中国語版Wikipediaの記述

生平
宝龟5年阴历六月十五(774年7月27日),空海出生于赞岐国多度郡屏风浦(今香川县善通寺市),父亲是豪族,母亲阿刀氏是渡来人后人。

→ 空海は多度郡屏風浦で生まれたとある (現在の香川県善通寺市と書いてあるが、正確には、屏風浦は香川県仲多度郡多度津町である)。父は豪族、母方は渡来人の子孫 阿刀氏と書いている。

空海は、その後、

延暦7年(788年)、平城京に上る。上京後は、中央佐伯氏の佐伯今毛人が建てた氏寺の佐伯院に滞在した。

延暦8年(789年)、15歳で桓武天皇の皇子伊予親王の家庭教師であった母方の叔父である阿刀大足について論語、孝経、史伝、文章などを学んだ。延暦11年(792年)、18歳で京の大学寮に入った。大学での専攻は明経道で、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学んだ。

🟣母方の阿刀氏の出自について

●阿刀氏(日语:阿刀氏/あとうじ Atōji,又称安斗氏、安刀氏、安都氏或迹氏)是日本古代的神别(日语:神別)氏族,家祖是物部氏之祖饶速日命之孙味饶田命,最初姓为“阿刀连(日语:連)”,后来获赐姓“阿刀宿祢”,出身地为河内国涩川郡迹部乡(现大阪府八尾市迹部一带)。

出自
按物部氏的史书《先代旧事本纪》记载,阿刀氏的家祖是饶速日命之孙味饶田命。

平安时代初期的弘仁6年(815年),按《新撰姓氏录》记载,阿刀氏有以下后裔。

左京 神别 天神 阿刀宿祢 – 石上同祖。

山城国 神别 天神 阿刀宿祢 – 石上朝臣同祖。饶速日命之孙味饶田命之后。

山城国 神别 天神 阿刀连 – 石上朝臣同祖。饶速日命之孙味饶田命之后。
摄津国 神别 天神 阿刀连 – 神饶速日命之后。

和泉国 神别 天神 阿刀连 – 釆女臣同祖。
另外,按照《太子传玉林抄》引用的《新撰姓氏录》左京神别阿刀宿祢条逸文记载,阿刀连在大和国城上郡椿市村(现奈良县樱井市金屋)也有分支。

阿刀氏与物部氏(后来的石上氏)是同一祖先。

阿刀氏这个姓氏是来自于物部守屋在阿都(河内国涩川郡迹部乡,现大阪府八尾市迹部一带)的别业(日语:別業)而得名。天武天皇元年(672年)开始,阿刀氏首次出现在历史文献上,因此可能是当时物部氏衍生而成的分支。

🟣物部氏と同祖伝承を有する神別(天神)の古代氏族で、「阿刀連」のち「阿刀宿禰」姓を称した。

●出自
物部氏系の史書である『先代旧事本紀』では、饒速日命(物部氏祖神)の孫・味饒田命(うましにぎたのみこと)を祖とすると伝える。

●つまり、空海の母方の阿刀氏は、古代史族の物部氏と先祖が同じで、物部氏の祖神であるニギハヤヒの孫を祖とする。

物部氏の祖神 ニギハヤヒは、天皇家に繋がる天孫族の神武天皇 (イワレヒコ)の東征よりも早くヤマト 奈良県に降臨していた天孫族。

物部氏の祖神のニギハヤヒも神武天皇の先祖も大陸からやって来た(降臨した) 渡来系氏族であるが、恐らく紀元前に大陸から日本へ渡ってきたではないか。ニギハヤヒは、現在の大阪府交野市に、神武天皇 (イワレヒコ) は宮崎県の日向にやって来たと言われる。

🟣空海は、父方の讃岐地方の有力豪族の佐伯氏と渡来系氏族の物部氏と同祖の阿刀氏の間に生まれた御曹子だった。

20年の遣唐使予定を2年に短縮し、密教の経典やその他、薬草学を学び日本に持ち帰ることできたのは、その財力と中国語力があったからであろう。天台宗開祖の最澄は国費留学、空海は私費留学であった。