細川京兆家崩壊後の摂津守護代 長塩(永塩)家の動向 ― 讃岐黒羽 永峰家および肥後細川家家臣 長塩家との関連についての一考察 ―

細川京兆家崩壊後の摂津守護代長塩(永塩)家の動向

― 讃岐黒羽永峰家および肥後細川家家臣長塩家との関連についての一考察 ―

要旨

本稿は、室町・戦国期に細川京兆家の重臣として摂津守護代を務めた長塩(永塩)家について、細川京兆家崩壊後の一族の動向を考察するものである。

特に、①讃岐国黒羽の永峰家との系譜的関係、②近世肥後細川家臣長塩家との関係について検討する。

結論として、長塩家本流は戦国期の細川京兆家没落とともに政治的地位を失い、一部は讃岐へ移住して土着した可能性が高い一方、肥後細川家臣長塩家との直接的系譜関係については現時点で史料的裏付けが不足している。

1. はじめに

長塩(永塩)家は室町幕府管領家であった細川氏の重臣として知られる。

摂津国では代々守護代を務め、

  • 長塩太郎次郎
  • 長塩備前入道
  • 長塩弥次郎
  • 長塩宗永

らの名が確認される。尼崎周辺を本拠として細川氏の畿内支配を支えた有力家臣団の一つであった。 

2. 細川京兆家と長塩家

長塩家が仕えた細川京兆家は、室町幕府の三管領家の一つであり、

  • 細川勝元
  • 細川政元
  • 細川高国

らによって最盛期を迎えた。

長塩家は摂津守護代として京兆家権力の中核を担い、摂津国内の軍事・行政を担当した。特に長塩元親は16世紀初頭の史料にその活動が確認される。 

しかし1531年の「大物崩れ」により細川高国政権は崩壊し、その後も内紛が続いた。

さらに1549年の江口の戦いにおいて、三好長慶が細川氏綱を擁して畿内の実権を掌握すると、細川京兆家の権威は事実上消滅した。

これに伴い、京兆家の有力家臣であった長塩家も守護代職と所領を失ったと考えられる。 

3. 讃岐黒羽永峰家への展開

3.1 永塩因幡守氏継と黒羽

伝承によれば、永塩因幡守氏継は15世紀中頃に讃岐国黒羽へ赴任し、黒羽城主となった。

氏継は1467年、応仁の乱において京都で戦死したとされる。 

このことは長塩家が摂津だけでなく、細川氏の本国である讃岐にも拠点を有していたことを示唆する。

3.2 戦国期の避難先としての黒羽

細川京兆家崩壊後、長塩家が選択した移住先として最も有力なのが黒羽である。

その理由は、

  1. 先祖氏継以来の縁故地であったこと
  2. 細川氏支配下で形成された旧家臣ネットワークが存在したこと
  3. 三好政権の直接支配圏から距離があったこと

である。

『引田町人物史』に記載される永峰家系図では、

永塩因幡守氏継

長塩備前守又四郎元親

永峰宅本(1553-1631)

という系譜が示されている。 

もしこの系譜が史実を反映しているならば、

長塩家の一支流が16世紀中葉に永峰姓へ改姓し、讃岐で土着したことになる。

3.3 改姓の背景

戦国期には没落武士が改姓して帰農する例は珍しくない。

長塩家の場合、

  • 主家細川京兆家の滅亡
  • 三好氏による政治秩序の転換
  • 所領喪失

という状況の中で、

武士身分を捨てて農村社会へ編入された可能性が高い。

永峰家が後世に地主・庄屋層として発展したことは、その典型例と考えられる。 

4. 肥後細川家家臣長塩家との関係

近世において長塩姓は肥後熊本藩にも確認される。

熊本藩主家である肥後細川家は、戦国末期の細川藤孝(幽斎)・忠興を祖とする家である。 

一見すると、

「細川家家臣長塩家」

という共通点から、摂津守護代長塩家との関係が推測される。

しかし現時点では、

  • 系図
  • 分限帳
  • 知行帳
  • 家譜

などの一次史料による接続は確認されていない。

したがって、

仮説A

摂津長塩家の一部が細川藤孝・忠興に従い豊前・肥後へ移住した。

※肥後細川家家臣長塩家は『肥後細川家侍帳』において阿波国中之郡領主長塩阿波守を祖とすると伝える。しかし、同家と室町期の摂津守護代長塩家との系譜的関係を示す一次資料は現時点で確認できない。したがって両者の関係は未詳とせざるを得ない。

仮説B

同姓だが別系統の長塩家である。

という二つの可能性が考えられる。

現状では仮説Aを断定できる史料は発見されていない。

5. 結論

本研究から次の点が指摘できる。

① 長塩(永塩)家は室町期を通じて細川京兆家の重臣・摂津守護代であった。 

② 1531年の大物崩れおよび1549年の三好長慶による京兆家支配権奪取によって、長塩家は政治的基盤を喪失した。 

③ 一族の一部は先祖永塩因幡守氏継ゆかりの讃岐黒羽へ移住し、永峰姓へ改姓して土着した可能性がある。

 

④ 肥後細川家家臣長塩家については、摂津守護代長塩家との関連を示す確実な史料は未確認であり、今後の研究課題である。 

今後の研究課題

このテーマを本格的に立証するためには、

  1. 引田町人物史
  2. 肥後細川藩侍帳
  3. 尼崎市史

などの資料について一次資料に基づく総合的比較研究が不可欠である。

特に「永塩因幡守氏継→→長塩元親→→永峰宅本」を繋ぐ16世紀史料が発見されれば、讃岐黒羽永峰家の出自研究は大きく前進するであろう。

参考史料

  1. 『天文日記』
  2. 『東寺百合文書』
  3. 『香川県中世城館跡詳細分布調査報告(2003年)』
  4. 『東かがわ市文化財保護協会誌掲載永峰家 家系図』
  5. 『角川日本地名大辞典』
  6. 『増補 三代物語』
  7. 『全讃史』
  8. 『肥後細川家家譜』
  9. 『引田町人物史』
  10. 『引田町史』
  11. 『尼崎市史』
  12. 『肥後細川藩侍帳』
  13. 『日本姓氏語源辞典』
  14. 『大友家文書』

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