全日本プロレス 新年のあいさつ
【全日本プロレス】 馬場・鶴田 vs シン・上田
「私は何か、秘密兵器があるんじゃないかと心配している!」
「鶴田は張り切りすぎた!」
大仁田 vs ウルトラセブン
「大仁田の秘話をお話しします!」
「大仁田は120%云々、この人は20のxxxを持っています。」
テリーファンク vs ロッキー羽田
「全身、けいれんです!」
ジャイアント馬場 vs マグロー
「馬場くんの奥深さ云々カンヌン、」
石川、佐藤 vs 外国人
「不本意な試合です!」
ジャイアント馬場の田鶴浜さん追悼コメント
◼️田鶴浜弘さんのプロフィール

田鶴浜 弘(たづはま ひろし)
1905年8月29日 – 1991年8月15日
日本のスポーツライター、プロレス評論家。
日本ボディビル協会の副会長も務めた。

早稲田大学卒業。
報知新聞記者を皮切りにスポーツ記者として広く活躍し、とりわけプロレスでは「プロレス評論家の草分け的存在」と称される。
日本初のプロレス専門誌『月刊プロレス』の創刊にも携わった。
1972年の全日本プロレス創立から1985年頃まで、日本テレビの『全日本プロレス中継』で解説者を務める。
なおメインの解説者は田鶴浜より28歳若い山田隆で、田鶴浜は二番手のポジションだった。
1975年に全日本で行われたオープン選手権では準備委員会の委員を務めた。
子供向け入門書を含め著書を多く発表している。
弟子に流智美がおり、流によると「そのレスラーの前に出た時、見せられないような物は書いてはいけない」と教えを受けたという。
漫画『キン肉マン』に登場する解説者のタザハマは田鶴浜がモデルである。












