スタンハンセンとは?
スタン・ハンセン(Stan Hansen
本名:John Stanley Hansen II
1949年8月29日 –
アメリカ合衆国の元プロレスラー。
テキサス州ノックスシティ出身。
デンマーク系アメリカ人。
日本で最も成功したといわれる外国人レスラーの1人。
第32代AWA世界ヘビー級王者。
第2代PWF会長。
なお、現夫人は日本人で息子が2人いる。
また、ラリアットを生み出した人物でもある。
インタビュー
自分がラリアットを生み出したことをアピールするハンセン
現役時代
ジャンボ鶴田の思い出を語る
天龍のイベントにゲスト出演
◼️ハンセン失神
●失神事件
1988年3月5日に秋田市立体育館で行われた天龍&原(龍原砲)対ハンセン&ゴディでは、龍原砲のサンドイッチ延髄斬りを食らったハンセンが数十秒間失神するハプニングが発生。
意識を取り戻したハンセンは猛然と天龍に襲い掛かり、椅子で滅多打ちにし、カウベルで殴打し、強烈な張り手をくらわす、『全日本プロレス中継』の解説席にいた馬場と山田隆を襲撃するなどすさまじい暴れっぷりを見せた。
その後も館内の全てのドアを開けながら龍原砲の控室を襲撃しようとしたため、和田京平は龍原砲と取材陣に対して退避指示を出し、龍原砲と取材陣は慌てて会場を後にした。
翌日の三沢大会でもセミファイナルに出場する天龍を試合前に襲撃し、3月9日に横浜文化体育館で行われた一騎打ち(PWF・UN二冠戦)では、逆に天龍が試合後のハンセンの控室に殴り込み、再び大乱闘を演じている。
●後日談
1988年3月の秋田失神事件に関して、天龍はこのことを振り返り「俺としては思い切り殴り合えたからスッキリした。当時の俺たちのプロレスは一線を越えてナマの感情をぶつけ合うものだった」と述べている。
ハンセンもまた、自らのプロレス人生を振り返る形で「喧嘩ではなくビジネスだと思っていても、絶対に譲れない部分がある。だから、どうしても一線を越えてしまうのだ。それが闘いというものだろう」と、天龍と一致する見解を述べている。
●2022年9月に芳林堂書店高田馬場店で行われた天龍&ハンセンのトークショーや2024年3月に東京スポーツが行ったインタビューにて、天龍とハンセンの2人は真相を明かし、天龍はザ・グレート・カブキに「ハンセンが龍原砲の控室を探してるから逃げろと言われた」と話した他、さらに天龍は、秋田市内の宿舎が外国人選手と同じ宿舎で、ハンセンが部屋に入るまで原と2人でタクシーの中で待機していた後にチェックアウトした上で他のホテルに移動していた事も明かした。
ハンセンもカブキに「試合は終わったんだからもういい。落ち着け!」と言われていた事を明かした。さらにハンセンは、「秋田大会当日、私を止めることができるのはカブキさんしかいなかった」と語った。
テリー・ゴディも「秋田大会におけるハンセンは闘牛場の牛のようだった」と述べている。
秋田大会当日にサブとして実況席にいた若林健治(龍原砲VSハンセン&ゴディの実況を担当したのは倉持隆夫)は、記者から「日本テレビのスタッフルームへ行くな。ハンセンが暴れているから、見つかったら襲撃されて大変な事になる」と言われ、日本テレビのスタッフルームへ向かわずに、そのまま会場を離れたという。
◼️叫び声について
なぜ「ウィー!」と叫ぶのかと質問された際、当時を回想して「私が新日本に上がっていた頃は猪木も坂口も同じ外国人のタイガー(ジェット・シン)も自分より年上で、全日本に来てからも馬場も年上だった。そんな彼らに「俺はお前らより若いんだ。ニュー・ジェネレーション・パワーを見せつけてやる!」という思いが強くそれで「ユース(YOUTH)!」と叫んでいた」という。
それが日本人の耳には「ウィー!」と聞こえたというのが真相らしい(2006年『週刊プロレス』インタビューより)。
