【高松市・デカ盛り】香川県高松市のコトデン瓦町駅から徒歩圏内にあるデカ盛りの店は? まんが日本昔ばなしに出てくるような山盛りのご飯とバカボンのパパが食べていたようなニラレバ炒め「ドント飯店」! 二郎インスパイア系の「ダントツラーメン」!

🟣ダントツラーメン 岡山一番店

●野菜は8倍まで選べる。

●ニンニク、セアブラ、醤油の濃さなども好みに合わせて選べる。

●高松駅近くの兵庫町にダントツラーメン 高松一番店もある。

https://s.tabelog.com/kagawa/A3701/A370101/37004496/

🔸二郎系とは?

「二郎系」とは、ラーメン店「ラーメン二郎」を元祖にして典型・模範・標準とするラーメンのスタイル・系統ならびに二郎系のラーメンや二郎系のラーメンを出す店のことを意味する表現。

とりわけ、「ラーメン二郎」の本家本元(三田本店)とは直接の関係がない、ラーメンのスタイルが似た店のこと。

二郎系は、「ラーメン二郎」に触発されて開発されたという意味で「二郎インスパイア系」と呼ばれることも多い。

二郎系のラーメンは、麺が極太の「わしわし麺」、丼には麺を覆い尽くすほどモヤシ等の野菜が山盛り、そしてニンニクや背脂などのトッピングを任意に選べる、といった要素をおおむね共通の特徴とする。

「ラーメン二郎」がこのようなスタイルのラーメンの開祖と位置づけられている。

●写真は、野菜4倍、ニンニク増し増し、他は普通

●瓦町駅から徒歩6分

●食べログ

https://s.tabelog.com/kagawa/A3701/A370101/37004496/

◼️ダントツラーメン 岡山一番店

高松観光通り

◼️ダントツラーメン 高松一番店

🟣ドント飯店 

●昭和レトロな佇まいの町の中華料理屋さん

●元々、香川県内でフランチャイズ展開をしていたドンドン餃子の店。

●量が多いので注意が必要。

●餃子無料券。無限ループ使用の噂あり。

●瓦町駅から徒歩3分

パチンコ店の南側の細い路地にある。油断をしていると通り過ぎてしまう💦

●昭和時代からある路地の佇まい

◼️動画

●食べログ

https://s.tabelog.com/kagawa/A3701/A370101/37002358/

●ニラレバ炒め定食。まんが日本昔ばなしに出てくるような山盛りのご飯💦

●バカボンのパパが食べていたような懐かしさのあるニラレバ炒め😃

●まんが日本昔話

●子供の頃、テレビを見ていて食べたくなったもの😃

バカボンのパパ→レバニラ炒め 

小池さん→ラーメン 

キレンジャー→カレー 

ど根性ガエルの梅さん→寿司

ハクション大魔王→ハンバーグ

ドラえもん→どら焼き

ギャートルズ→マンモスの肉

番外: ゴンの父ちゃん→猿酒

番外: 魔太郎がくる→北京ダック

●焼飯 

●餃子

●麻婆豆腐丼

●中華丼

●空揚げと焼き飯のセット

●肉ニラ炒め 2023/5/11

◼️常磐町

ドント飯店は常磐町(ときわちょう)にある。

町名の由来は当時の事業家・溝渕寿吉(現常磐興業)が現在のトキワ街(常磐町商店街)周辺の土地を買い取り、演劇場「常磐座」(1928年7月)や常磐映画館(1943年12月)などを作ってこのあたりを常磐としたことによる。

当時、常盤と常磐の2つの案があったが、溝渕寿吉は皿ではなく破れることのない石を使った字を主張して譲らなかった。

これは常磐街に敷きつめた市内電車の敷石からも通じ、この石畳は1968年(昭和43年)秋に舗装道路へ変わるまで約20年間、常磐街の名物になっていた。

1958年(昭和33年)に田町、新瓦町、西瓦町、南新町、塩上町、南瓦町の各一部から新設。

新設前のこの地は大部分が「瓦町」を冠する一連の町の一部であった。

かつて存在した一連の瓦町のうち東瓦町、新瓦町、西瓦町の3町は江戸時代に高松城城下町の一部となったのに対し、南瓦町のみは明治時代まで香川郡東浜村の一部であった。

1890年(明治23年)2月15日の高松市市制施行と同時に高松市へ編入されたが。

編入当時は正式な町名が与えられなかったため、「瓦焼」の通称地名で呼ばれていた。

その後、1914年(大正3年)に瓦町の南に位置するという意味で「南瓦町」の正式町名が設定された。

なお、「瓦焼」という地名は東浜村時代の新瓦町で使われていた地名である。

かつて旧南瓦町には千日念仏堂があり、生駒時代にあった斬罪場にまつわる千日供養が行われていた。

おおむね現在の瓦町一丁目が東瓦町、南東部を除く瓦町二丁目が西瓦町、瓦町二丁目の南東部と常磐町一丁目が新瓦町、常磐町二丁目が南瓦町であった。

この時の名残は現在ではほとんど残っていないが、バス停の名称としてのみ「南瓦町」が残っている。

◼️瓦町 (かわらまち) の歴史

1958年(昭和33年)に東瓦町、西瓦町の大部分と南新町、古馬場町、福田町、塩上町、新瓦町の各一部から新設。

1964年(昭和39年)には福田町の一部を瓦町一丁目に、八坂町・塩上町の各一部を瓦町二丁目に編入した。

このような変遷を辿り、かつての一連の「瓦町」を冠する町々は大部分が瓦町と常磐町の2町にまとめられた。

おおむね現在の瓦町一丁目が東瓦町、南東部を除く瓦町二丁目が西瓦町、瓦町二丁目の南東部と常磐町一丁目が新瓦町、常磐町二丁目が南瓦町であった。

この時の名残は現在ではほとんど残っていないが、バス停の名称としてのみ「南瓦町」が残っている。

戦後までの瓦町は元々東浜村の一部で、江戸期に高松城下町の一部となった。

地名の由来は瓦焼師が多く住んでいたことによる。

江戸時代の高松城下ではしばしば大火が発生していたため、その度に従来の茅葺から瓦葺きの屋根に葺き替える民家が多く、瓦の需要は常に大きかった。

明治中期頃から大正期にかけても玉屋・備前屋・水屋・岡の屋などの瓦焼業が存在している。

天保元年には東浜村の一部であった新瓦町が高松城下の1町となる。

その後もこのあたりは明治時代まで東部・南部にほとんど民家は無く、野原の中に千日石碑が建っていた。

1902年(明治35年)には新瓦町尋常小学校が設置され、1909年(明治42年)には市内では最初の青年団である新瓦町青年団が結成されている。

1832年(天保3年)には東瓦町と西瓦町に分けられたが、以後も両町の総称として瓦町は用いられた。

その後、徐々に瓦町を称する町は増え、最終的には4町が瓦町を名乗るようになる。

これら瓦町は早い時期から城下町に組み入れられて町名も与えられ、広大な範囲を指すようになったが、町内には田圃と曲がりくねった道に棟割長屋のような民家がわずかに点在するだけの寂しい場末の町であった。

このような状況は1945年(昭和20年)の高松空襲まで続く。

●昭和時代の瓦町駅

●現在の瓦町駅。東へ真っ直ぐ行くと高松商業がある。

●2023/5/10 瓦町駅前

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