🟣2023年5月4日に、四国遍路通訳ガイド協会 の勉強会に参加。
高松市の玉藻城横にある 香川県立ミュージアム で開催中の「弘法大師空海生誕1250年記念特別展 空海―史上最強、讃岐に舞い降りた不滅の巨人」を訪問してきた。
●瀬戸内海、女木島、男木島、豊島
●香川県立ミュージアム
●香川県立ミュージアムの西側は玉藻城。
◼️四国遍路通訳ガイド協会 勉強会
●日時:5月4日(木)
10:00~12:00
●内容:令和5年度春季特別展 弘法大師空海誕生1250年記念特別展
「空海 ―史上最強、讃岐に舞い降りた不滅の巨人
●スケジュール
9:50 県立ミュージアム正面玄関集合
9:55 入館
10:00 学芸員による講義
11:00 特別展鑑賞(各自自由行動)
12:00 集合・解散
◼️空海の母方は渡来系の阿刀氏、では父方の佐伯氏の先祖は?
◼️【空海の母方】阿刀氏
阿刀氏(あとうじ、安斗氏/安刀氏/安都氏/迹氏)は、「阿刀」を氏の名とする氏族。
物部氏と同祖伝承を有する神別(天神)の古代氏族で、「阿刀連」のち「阿刀宿禰」姓を称した。
●物部氏系の史書である『先代旧事本紀』では、饒速日命(物部氏祖神)の孫・味饒田命(うましにぎたのみこと)を祖とすると伝える。
また平安時代初期、弘仁6年(815年)の『新撰姓氏録』では以下の氏族が記載されている。
・左京 神別 天神 阿刀宿禰 – 石上同祖。
・山城国 神別 天神 阿刀宿禰 – 石上朝臣同祖。饒速日命の孫・味饒田命の後。
・山城国 神別 天神 阿刀連 – 石上朝臣同祖。饒速日命の孫・味饒田命の後。
・摂津国 神別 天神 阿刀連 – 神饒速日命の後。
・和泉国 神別 天神 阿刀連 – 釆女臣同祖。
なお『太子伝玉林抄』所引の『新撰姓氏録』左京神別阿刀宿禰条逸文によれば、大和国城上郡椿市村(奈良県桜井市金屋)にも阿刀連があったという。
このように阿刀氏は物部氏(のち石上氏)と同祖伝承を有している。
その氏名は物部守屋の別業があったと伝えられる阿都(のちの河内国渋川郡跡部郷、現在の大阪府八尾市跡部周辺)の地名に基づくとされる。
また、人物の初見が天武天皇元年(672年)であることから、その頃に物部氏から分派したという説がある。
◼️【空海の母の兄】阿刀 大足(あと の おおたり、生没年不詳)
奈良時代から平安時代初期にかけての貴族・学者。
空海の母方のおじにあたる。
位階は従五位下。
●経歴
延暦7年(788年)空海は母方のおじで学者であった大足を頼って平城京に上京する。
その後、延暦11年(792年)に空海が大学寮に入るまで、大足は空海に対して論語・孝経・史伝・文章などの個人指導を行った。
延暦23年(804年)大足の援助により、第18次遣唐使の学問僧として空海の入唐を実現させた。
また、大足は伊予親王の侍読も務めたが、その後の動静は明らかでなく、大同2年(807年)に発生した伊予親王の変に連座して失脚した可能性もある。
位階は従五位下に至った。
◼️【空海の父】佐伯 田公(さえき の たぎみ)
奈良時代から平安時代初期にかけての官人。
姓は直。
播磨国造の一族で、多度郡擬大領・佐伯男足の子とする系図がある。播磨国は飛鳥時代に秦氏の族長的存在だった秦河勝とも縁が深い。
官職は多度郡少領。
讃岐国多度郡の豪族であったが、子の真魚(のち空海)を中央官人にするため、妻の実家である阿刀氏の一族であった阿刀大足の尽力によって、奈良の大学寮明経科に入学させる。
しかし、真魚は仏門の世界に入ることとなり、田公は憤慨したという。
その弁明として真魚が書いたのが、『聾瞽指帰』である。
佐伯直の一族からは、宗教家が多く輩出され、真言宗の発展を支えた。
◼️円珍: 讃岐国多度郡弘田郷の豪族・佐伯一門のひとり。俗姓は和気。字は遠塵。空海(弘法大師)の甥(もしくは姪の息子)にあたる。生誕地は善通寺から4kmほどのところ。
◼️佐伯 好郎(さえき よしろう)
明治4年8月1日(1871年9月15日) – 1965年6月26日)
日本の言語学者・英語学者・西洋古典学者・ローマ法学者・東洋学者・東洋宗教史家。キリスト者でもある。
広島県佐伯郡(現・廿日市市)で父・友七と母・トヨの間に生まれる(生家は厳島神社神主職を務めた佐伯氏の流れをくむとされる)。
言語学・法学・歴史学など複数分野にまたがる西洋古典学の研究・教育で大きな業績を残したが、特にネストリウス派キリスト教(景教)の東伝史に関する研究で国際的に有名になり「景教博士」と称された。
また日本人とユダヤ人が同祖であるとする日ユ同祖論の最初期の論者としても知られ、独自の歴史観を唱えた。
戦後は故郷・廿日市の町長を務めるなど、戦災や原爆で荒廃した広島県の再建に尽くした。
◼️空海の父方の佐伯氏の先祖は渡来系氏族の秦氏だったのではないか?
佐伯氏の先祖が、秦氏かどうかは分からないが、渡来人が先祖だった可能性は十分にありえるだろう。
◼️佐伯氏の先祖。元々は大陸から来た秦氏が九州北部にたどり着き、その後、今の大分県佐伯市に定住した、そこから播磨国を経て讃岐の善通寺辺りに移り住み、その地を治めるようになったのではないか?
奈良時代後、佐伯氏は多度郡の郡司を務めた。
満濃池の造営と言った高い土木技術、中国語の理解、山岳信仰、治水、鉱山開発などの技術を知っていた空海は秦氏の支族の末裔ではないか?
実際、空海は秦氏との関わりが非常に深い。
空海の弟子には秦氏族の
道昌 (京都雌峨法輪寺、別名大堰寺の開祖)、
観賢 (文徳、清和天皇時、仁和寺より醍醐寺座主)、
らがいる。
平安時代初期、讃岐出身で泰氏とつながる明法家は八名もいる。
高松市の石清尾山の南麓は坂田郷と呼ばれていたが、その坂田出身の高僧 観賢(西暦853年から925年)は秦氏。
観賢は、空海に弘法大師の称号を贈るよう運動を起こした人で、彼によって弘法大師信仰のいしずえが築かれた。
また、讃岐の一宮 田村神社の宮司も秦氏だった。
◼️道昌(どうしょう)
延暦17年3月8日(798年3月29日、一説に延暦18年) – 貞観17年2月9日(875年3月20日))
平安時代前期の真言宗僧。俗姓は秦氏。讃岐国香川郡香河郡の出身。
◼️秦氏。中国(or 中央アジア)から朝鮮(新羅 or 百済)を経て日本へ渡来してきたと言われる秦氏が九州北部に上陸し、最初に定住した豊国。そこから日本中に移動して行ったと言われる。
京都市の太秦を本拠地とした秦河勝は聖徳太子のブレーンとしても有名。建立した太秦の広隆寺は現存する。秦氏は桓武天皇に協力し、平安京を造営した。また、伏見稲荷神社をはじめとし松尾大社、八幡神社を建造した。
大分県には今も佐伯と言う地名が残っている。ここから佐伯氏は播磨国を経て讃岐に移り多度郡の地方豪族となっていったのではないか?
空海の父方の佐伯氏が大陸から来た秦氏の支族で、母方の阿刀氏の祖は渡来系の物部氏とすると、空海のマルチリンガル性や宗教的指導者となる素地、相当な財力(全国の秦氏ネットワークからの支援)、鉱山開発、土木技術等の様々な知識を持っていたことに合点がいく。もちろん空海自身の優れた天才性と才能もあるが。
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https://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/nagasawa/new-13.html
◼️イベントURL https://pref.kagawa.lg.jp/kmuseum/kmuseum/tenji/tokubetsuten/kukai1250.html
「弘法大師空海生誕1250年記念特別展 空海―史上最強、讃岐に舞い降りた不滅の巨人」