【タブー】日本考古学界を揺るがした旧石器捏造事件とは? 関係遺跡抹消・検定済教科書書き直し! ゴッドハンド(神の手)と呼ばれた男!

◼️【現場から、】平成の記憶、旧石器発掘ねつ造~今何を思う~

◼️藤村 新一(ふじむら しんいち)

1950年(昭和25年)5月4日 –

日本の元考古学研究者。

特定非営利活動法人「東北旧石器文化研究所」元副理事長。

発掘に携わった遺跡から次々と「新発見」をしたことから「神の手(ゴッドハンド)」と呼ばれ、一躍脚光を浴びたが、後に自作自演によるものだったことが判明した旧石器捏造事件を引き起こした人物として知られる。

捏造発覚後再婚し、妻の苗字を名乗っているため、藤村は旧姓である。宮城県出身。

◼️来歴

1950年、宮城県加美郡中新田町(現・加美町)生まれ。

子供時代に土器を拾い、古代に憧れを持つ。

仙台育英高等学校卒業後、東北電力子会社の東北計器工業へ就職。

工員時代に考古資料に興味を持つようになり、休日を利用して石器収集を始め、1973年には「宮城県古川市馬場壇発見の文字瓦」(共著、『遮光器』7、pp.18-21、みちのく考古学研究会)において線刻文字瓦を資料紹介した。

翌1974年(昭和49年)以降は、江合川流域の石器を中心とした踏査を始め、1975年(昭和50年)にはこの時の仲間を主力とする石器文化談話会が結成され、石器探しの名人として活動した。

発見効率が驚異的に高いことから、仲間内では「神の手」の異名を馳せた。

日本の旧石器時代史の争点であった前期・中期旧石器時代の遺跡を「発見」し、1992年(平成4年)には民間の東北旧石器文化研究所設立に参加、同年9月、在野の考古学研究者を対象にした相沢忠洋賞(第1回)を受賞(事件後返上)した。

また、1995年(平成7年)には東北旧石器文化研究所も同賞(第4回)を受賞(事件後返上)した。

秩父原人の遺構を発見した功績により、埼玉県知事より表彰もされた(のちにこれも捏造と発覚)。

1999年(平成11年)に会社を退職し、同研究所職員となる。

同研究所は2000年(平成12年)8月には、特定非営利活動法人として認証(2004年1月解散)され、副理事長として活動した。

後述の捏造事件発覚まで、藤村は旧石器時代の上限を十万年単位で遡らせるとされた発見・研究報告を次々とあげ、日本の前期・中期旧石器時代研究のトップグループの一人と見なされていた。

◼️旧石器捏造事件

発見効率のあまりの良さや発見の様態が不自然であるとする意見、藤村をはじめとする東北旧石器文化研究所の「業績」への疑義等は元からあったが、学会では少数派であり、考古学界はこうした意見をほとんど軽視、または傍観してきた。

藤村が所属する団体の調査結果に疑念を抱く考古学関係者もいたが、そのことを指摘する人は少なかった。

発掘現場での藤村の不審な行動に疑念を持った人からの情報提供に基づき、毎日新聞北海道支社がチームを編成しての取材に着手した。

発掘の現場に張り込みを行い、藤村があらかじめ石器を遺跡に埋め込み仕込んでいる様子の写真・ビデオ撮影に成功した。

その後、本人への直接の取材と捏造の確認を経て、2000年11月5日の朝刊で報じた。

それが発端となり、それまでの業績のほとんどが捏造であることが判明し、日本からは確実といえる前期・中期旧石器時代の遺跡が消滅した。

このため、過去四半世紀に及ぶ日本の前期・中期旧石器時代研究のほとんどが価値を失い、周知の遺跡(埋蔵文化財包蔵地)の抹消・検定済教科書の書き直しなど、多大な影響が生じた。

彼が捏造にかかわった遺跡は宮城県が中心であるが、調査の指導などで呼ばれた北海道から関東地方まで広い範囲で捏造を行っていた。

藤村に対する告発も検討されたが、現行法では罪に問うのは難しいとして見送られた。

2003年(平成15年)に福岡県の考古学者が偽計業務妨害の疑いで告発したが、仙台地方検察庁は証拠不十分として不起訴処分にした。

事件後、藤村は松島町の瑞巌寺の修行専門道場に11月末まで数週間滞在。

その後は福島県の精神病院にしばらく入院していたが、病状を理由に入院先の詳細は公開されなかった。

またこれまで戸沢充則(明治大学名誉教授、日本考古学協会特別委員〈当時〉)が面会して捏造事件を引き起こした理由その他について告白を得た他は、病状悪化を理由に面会謝絶の状態が続いていた。

2001年(平成13年)2月には妻と離婚。

家族は事件を原因として激しい嫌がらせを受けていたという。

事件後に解離性同一性障害を発症し、障害者認定を受ける。

一方、2003年に入院先で知り合った女性と再婚している。

また、右手の人差し指・中指を斧で自ら切断した。

藤村の弁によれば、功名心から捏造を始めたものの、「神の手」などともてはやされるようになり、プレッシャーから捏造を続けてしまった、とのことである。

さらに当初は、捏造は一部と思われていたが、捏造の範囲が相当に広いことが判明し、世論は厳しさを増した。

後に福島県の障害者就労支援のNPOに勤務した。

2010年の取材で、捏造に関する記憶は事件後の精神疾患により残っていない旨を述べている。

当時の関係者らとの連絡も絶っているという。

◼️【日本史】旧石器時代のすべてをわかりやすく解説

◼️著作物

●「掘って掘って考古学の通説を覆した男 私には50万年前の地形が見える (大特集 日本史が面白くなってきた)」(『現代』34巻11号、2000年11月) 112-119頁

●栗島義明・藤村新一・野崎貴宮「興奮対談 秩父原人に出遭った日」(『正論』333号、2000年5月) 250-260頁

●梶原洋・藤村新一・鎌田俊昭ほか「科学の目 世界最古の石器埋納遺構 日本最古の石器群–上高森遺跡での新発見」(『科学』70巻3号、2000年3月) 163-165頁

●藤村新一・鎌田俊昭・梶原洋ほか 「<速報>上高森遺跡第4次調査について」(『月刊考古学ジャーナル』440号、1999年1月) 22-25頁

●藤村新一・鎌田俊昭・横山裕平ほか「祭祀遺跡紹介 宮城県築館町上高森遺跡発見の石器埋納遺構–世界最古の祭祀遺構」(『祭祀考古学』1号、1997年) 81-83頁

誰が「神の手」を招いたか。
石に憑かれた男たちの人生を追う、渾身の日本考古学界史。



目次


序章 オレたちの神様


第一章 岩宿の発見
日本人のルーツ発見/「考古ボーイ」たち/芹沢と相澤の出会い/それまでの旧石器研究/「明石原人」を巡る論争/相澤のライバル/始まった世紀の発掘/周囲の冷淡な目


第二章 人間・相澤忠洋
旅芸人の息子として/初めて手にした石器/離散した家族/母との再会/父としての相澤忠洋/亡き妻へのオマージュ


第三章 芹沢長介と登呂の鬼
染色家の父/病との闘い/登呂の鬼/火の杉原、水の芹沢/「岩宿の発見」は誰のものか?/杉原 vs 芹沢


第四章 前期旧石器狂騒
「この怨みは一生忘れないぞ」/考古学は博打か/人類の起源/芹沢の苦悩/師弟対決/岩宿の再発掘調査/晩年の相澤


第五章 孤立する芹沢
層位は型式に優先する/こだわりの写真撮影/芹沢の愛弟子たち/本当の敵は誰か/孤立する神様


第六章 暴かれる神の手
虚実ない交ぜの男/「出たどーッ」/神の手への疑問/考古学における日仏の差/科学検査では「OK」/無視された藤村批判論文/動き始めた取材チーム/検証委員会は何をしたのか


最終章 神々の黄昏
相澤忠洋になろうとした男/道化師よ、衣装をつけろ/旧石器の神様の最期
あとがき
参考文献一覧
解説 増田俊也

上原善広
1973(昭和48)年、大阪府生まれ。大阪体育大学卒業後、ノンフィション作家となる。2010(平成22)年、『日本の路地を旅する』(文春文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2012年、第18回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞大賞受賞。2017年、『一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート』(角川書店)で第27回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。主な著書に『異邦人 世界の辺境を旅する』(文春文庫)、『被差別の食卓』『被差別のグルメ』『異形の日本人』(いずれも新潮新書)、『私家版 差別語辞典』(新潮選書)、『発掘狂騒史「岩宿」から「神の手」まで』(新潮文庫)、『カナダ 歴史街道をゆく』(文藝春秋)など多数。

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