【タブー】見てはいけないマキ上田さんの蟹ダンス「インベーダーwalk」! 現在の姿は?

◼️マキ上田さんとは?

マキ上田

1959年3月8日〜

元女子プロレスラー。

本名:上田 真基子(うえだ まきこ)。

ジャッキー佐藤とのタッグ「ビューティ・ペア」で一世を風靡した。

◼️経歴

二人姉妹の長女。

鳥取県立鳥取農業高等学校(2001年に鳥取県立鳥取湖陵高等学校に統合)を1年で中退して全日本女子プロレスに入門し、1975年3月19日デビュー。

デビュー戦は後に「ビューティ・ペア」のパートナーとなるジャッキー佐藤よりわずかに早い。

ジャッキーとビューティ・ペアを結成して、結成初戦の1976年2月24日に赤城マリ子&マッハ文朱組からWWWA世界タッグ王座を獲得。

ビューティ・ペアは「かけめぐる青春」「真赤な青春」「青春にバラはいらない」などの曲が大ヒットするアイドル的存在で、試合の観客席が常にファンの女の子たちで満員になり、試合前のリングで歌を披露する際はリング上が紙テープや紙吹雪でいっぱいになるなど、熱狂的な人気を得た。

同年の1976年6月8日、ジャンボ宮本からWWWA世界シングル王座を地元鳥取で獲得。11月30日に赤城マリ子に王座を奪われるものの、翌1977年7月29日に赤城から王座を奪回。

11月1日にはマキが持つWWWA世界シングル王座にジャッキーが挑戦。この試合はビューティ・ペア同士の対決として注目され、互いに譲らず60分時間切れ、判定でタイトルを失う。

1978年8月9日にチャベラ・ロメロからハワイアンパシフィック王座(後にオールパシフィック王座に改称)を獲得。これにより、WWWAの主要3タイトル(WWWA世界シングル王座、WWWA世界タッグ王座、オールパシフィック王座)を全て獲得した初めての選手となる。

1979年2月27日の日本武道館大会では「敗者引退」という過酷なルールでのジャッキーとの再対決は48分7秒、エビ固めで敗れ引退、オールパシフィック王座を返上、ビューティ・ペアにも終止符が打たれた。

◼️引退後

引退後の一時期は女優として活動し、『ザ・スーパーガール』(東京12チャンネル)のゲスト出演で女優デビューした後、特撮ヒーロー番組『バトルフィーバーJ』にスーパー戦隊シリーズとしては最初の悪役女性幹部・サロメ役で出演。

また、歌手としてもシングルレコード「インベーダーWALK」をリリースしている。

その後、鳥取市内でスナックを経営していた。

1999年8月9日、ジャッキー佐藤が胃癌により41歳で死去した。

ジャッキーは最期まで病名をマキには教えていなかったという。

ジャッキーの訃報に関し、マキは「いつまでもライバルとして見ていてくれたことがとても嬉しい」と、込み上げる悲しみを抑えるようにコメントした。

48歳の時、ファンの一般男性と結婚。

2020年現在は夫が経営する東京都浅草の釜飯店を女将として支えている。

◼️マキ上田 – インベーダーWalk (ライブ)

◼️現在のマキ上田さん。東京都浅草の釜飯店を女将をしている。

◼️奇跡の対談、マキ上田とジャガー横田、これはどのような展開になるのか?

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