【タブー】元祖バラドル 松本明子さん、放送禁止用語発言で芸能界を2年間 干されるも苦労の末、バラエティもこなせるアイドルとして復活! デビュー曲「オス・メス・キス」とは?

🟣松本 明子(まつもと あきこ)さんとは?

香川県高松市屋島出身

1966年〈昭和41年〉4月8日〜

日本の歌手、バラエティアイドル、お笑いタレント、司会者、女優。

●デビュー曲

オス・メス・キス

●スター誕生の瞬間

◼️放送禁止用語発言

●発言時の状況など

1984年、アイドル歌手として伸び悩みを感じていた時に『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の土曜アシスタントに抜擢。

約半年後、同番組とが司会の『オールナイトフジ』(フジテレビ)とコラボした、テレビとラジオによる2元生放送に出演し、そこで四文字事件を起こす。

四文字事件の発端は、片岡鶴太郎と笑福亭鶴光に「(当時の)付き合っている男の名前をバラされたくなかったら、カメラに向かって四文字言え」とそそのかされたためだった。

本人は後年さらに詳細を語り、「当時、交際していた男性タレントがバイセクシャルとして有名な方だった。それを聞いた鶴光さんと鶴太郎さんから『ゲイと付き合っていると公表されたくないだろう』と言われたため、カメラの真正面で放送禁止用語を発した」としている。

本人は四文字について、「私は四国の方で生まれ育ったので、知らない言葉だった。

口にすること自体に抵抗は無かったですね」と述べている。

このため、当時の彼女は躊躇なく言ったもので、本人は後に「3回大声で叫んだ」とも証言している。

ただしこの3回のうちテレビで放送されたのは、ラジオとの同時放送パートにおいて発言した1回のみであった。

この発言直後、スタッフたちが一斉に顔色を失い、AD複数に抱えられて有無を言わさずスタジオからつまみ出されたという。

●周りの反応や芸能活動謹慎について

この発言は時のフジテレビ会長・鹿内春雄の怒りを買い、フジテレビからしばらく出入禁止処分を受けた。

また、フジテレビだけでなく東京のキー局の生放送に出られない状態が約2年間続くこととなった。

さらに、それまで細々とあった他の仕事もほぼゼロという状態となったが、関西のラジオ番組だけが面白がって使ってくれたという。

なお、四文字発言の話題に触れるたび「発言翌日の新聞の社会面に掲載された」と言っているが、新聞の社会面に掲載された事実はない。

謹慎生活となることが分かった直後、両親を心配させるため泣きながら電話をかけた。

本人は“いつでも帰っておいで”と言われるかと思ったが、事の顛末を知った母はケラケラ笑いながら「良かったじゃない。有名になれて」と告げた。

続けて、母から「これからは歌手やアイドルの肩書は脱ぎ捨てて、いただける仕事をコツコツやっていきなさい」と助言されたという。

仕事がなくなったため、以降高校と寮を往復するだけの日々を送った。

その後しばらくは今後の芸能生活に悩み、当時住んでいた渡辺プロの寮の最寄り駅である国立駅前のベンチで毎日のように泣いていた。

また、同時期に「公園のトイレで寝泊まりしていた時期がある」と本人が証言している。

なお、実際には数か月の謹慎期間を経て、そのきっかけとなった「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」には同年夏に復帰し、他局のラジオ番組やテレビ番組に曜日レギュラーやコーナーレギュラーなどとして同年秋頃から徐々に出演を始めている。

🟣4文字発言動画

●松本明子さん放送事故。放送禁止用語を言ってしまい、その後、芸能界から干されてしまった。

ニッポン放送の「オールナイトフジ」「オールナイト日本」の十周年記念合同生番組で、 デビュー間もない松本明子を、鶴太郎と鶴光がからかい放送禁止用語を言わせた。松本さんは、芸能活動停止にまで追い込まれたが、苦労して再び日の目を見る事になる。高松市屋島出身。

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