三沢光晴さん
あなたの勇姿は忘れない。
謹んでご冥福をお祈り致します。
●2009年の試合で、三沢さんをバックドロップで投げる齋藤彰俊さん
●三沢光晴さん最後の試合の入場シーン
●【試合後の応急処置】2009.6.13 三沢光晴さん。
●三沢光晴さん追悼番組
●三沢光晴さん七回忌での齋藤彰俊さんの弔事
●三沢さんの人柄がよく出ているインタビュー動画
●【名場面&トーク】全日本プロレス 98年末スペシャル。志村さん、上島さん
◼️2009年6月9日、東京スポーツの取材に応じた三沢は「もうやめたいね。体がシンドイ。いつまでやらなきゃならないのかなって気持ちも出てきた。」と吐露していた。
それから4日後の6月13日、三沢は広島県立総合体育館グリーンアリーナ(小アリーナ)で行われたGHCタッグ選手権試合に挑戦者として出場(【王者チーム】バイソン・スミス&齋藤彰俊 vs 【挑戦者チーム】三沢&潮崎豪)。
試合中、齋藤の急角度バックドロップを受けた後、意識不明・心肺停止状態に陥った。
リング上で救急蘇生措置が施された後、救急車で広島大学病院に搬送されたが、午後10時10分に死亡が確認された。
46歳没。
三沢が意識を失う前にレフェリーの西永秀一が「試合を止めるぞ!」と問い掛けた際に、かすかに「止めろ…」と応じたのが最後の言葉となった。
翌14日、広島県警察広島中央警察署は、三沢の遺体を検視した結果、死因をバックドロップによって頭部を強打したことによる頸髄離断(けいずいりだん)であると発表した。
週刊ゴング元編集長の小佐野景浩や日本の複数のプロレス団体でリングドクターを務める林督元は、三沢が受けたバックドロップ自体は危険なものではなく受け身もとれており、三沢の死は事故であったという見解を示している。
一方でプロレス関係者やファンの中には、三沢の死は過激な試合を繰り返したことで蓄積したダメージによって引き起こされたものであり、「頭から落とす四天王プロレスの帰着点」であると捉える者もいた。
前田日明は「不運な事故ではない」と明言し、「三沢が落ちた瞬間に、全身がバッと青ざめた」という証言を伝えている。
一方でザ・グレート・カブキは、「(バックドロップでマットに叩きつけられて)首がいったくらいで即死はないと思うんですよ」とし、齋藤に体を持ち上げられた瞬間に心筋梗塞がきたのではないかと推測している。
蝶野正洋は当時の三沢の体調面の問題だけでなく、「(2005年に亡くなった)橋本(真也)選手のように、経営者としての心労が大きかったのではないか」と思ったといい、加えて試合と治療に追われて身体を休めることができなかったことで、過労死のような形に近かったと受け取っていると述べている。
●死後
6月19日に東京・中野区の宝仙寺にて密葬が行われ、200人が参列した。
法名は「釋慈晴」。
遺影には「リングの上の栄光の瞬間や社長としてのスーツ姿ではなく、2000年に1度だけ参戦した耐久レースにおいてレーシングスーツを着て笑っている写真」が家族の意向で選出となった。
日刊スポーツは「トップレスラーとしてプロレス団体社長として家族として責任を背負い続けてきたので、最後くらいは解放させてあげたい」という家族の配慮があったと報道した。
7月4日にはディファ有明にて献花式「三沢光晴お別れ会 〜DEPARTURE〜」が開催され、会場にはプロレス関係者や徹夜組のファンなどを含めて約26,000人が参列した。
会場に詰め掛けたファンが作った列は最寄りの有明テニスの森駅から始まり、市場前駅を通過し、次の新豊洲駅のさらにその先まで3kmもの列をなした。
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●かつて全日本プロレスのファンであったルポライターの泉直樹は、この現象について以下のように述べている。
そこまで多くのファンが集まったことに私は驚いた。そのうちの何割かは私と同じようにすでにプロレスから遠ざかっているはずだ。そうでなければ、2万5000人ものファンが会場に駆けつけるはずもない。だが、あの当時の会場の熱狂的な雰囲気を覚えている者からすれば、これだけの人数が三沢との別れを惜しむのも当然、という思いもあった。 プロレスから離れた元ファンが大挙して駆けつけたのは、プロレスから離れた者として「自分が見放したから、今回のような事故が起こった」という罪の意識があったのかもしれない。その感情はもちろん、私自身の中にもあった。
— 泉2009、23頁。
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●三沢の後任の社長には田上明が就任し、2009年秋には三沢光晴追悼興行として「GREAT VOYAGE ’09 in TOKYO」が9月27日に日本武道館で、「GREAT VOYAGE ’09 in OSAKA」が10月3日に大阪府立体育会館で行われた。
三沢の死の翌日(14日)には、大阪プロレスにおいてレフェリーのテッド・タナベが試合終了直後に急性心筋梗塞を発症し、翌日死亡している。
プロレス界で立て続けに発生した2件の問題を受け、6月18日に行われた自民党文部科学部会・文教制度調査会の合同会議において、再発防止策や選手の健康管理について意見交換が行われ、プロレス関係者からNOAH・仲田龍取締役、新日本・菅林直樹社長、全日本・武藤敬司社長が、自民党からは同部会長の衆議院議員・馳浩が出席した。
仲田は、会議終了後「レフェリーや対戦相手は、戦いながら相手の状況を観察してもらう技術を身に付けてほしい」と再発防止を強調した。
◼️1999年 三沢光晴 vs. ベイダー
◼️三沢光晴 vs. 川田利明
ゲスト解説: 天龍源一郎
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