🟣西本 正(にしもと ただし)とは?
1921年〈大正10年〉 – 1997年〈平成9年〉)
日本の撮影監督である。
香港の撮影監督賀蘭山(ホー・ランシャン)として知られる。
●撮影した主な作品
『ドラゴンへの道』 Way of the Dragon : 監督ブルース・リー、1972年コンコルド・プロズ+ゴールデン・ハーベスト
『死亡遊戯』 Game of Death : 監督ロバート・クローズ / ブルース・リー、1972年 – 1978年ゴールデン・ハーベスト
『Mr.Boo!ギャンブル大将』 : 監督マイケル・ホイ、1974年福星影業
●経歴
1921年(大正10年)、福岡県、現在の筑紫野市に生まれる。
幼少時に家族とともに満州国に移住し、長じて満州映画協会に入社、撮影部で働く。
第二次世界大戦後、内地に引き上げ、東宝で撮影助手をつとめる。
1948年(昭和23年)には、太泉スタジオ(現在の東映東京撮影所)の第1回作品、マキノ正博(のちのマキノ雅弘)監督の『肉体の門』で、山崎一雄(のちの山崎市雄)カメラマンの助手をつとめた。
新東宝で三村明の助手をつとめたのち、1956年(昭和31年)、田口哲監督の『鉄血の魂』で撮影技師として一本立ちした。
1957年(昭和32年)、若杉光夫監督とともに香港に招かれ、ショウ・ブラザーズ製作で2作のカメラを回した。
1958年(昭和33年)には新東宝に復帰し、中川信夫作品を多く手がけた。
1960年(昭和35年)、大蔵貢社長が新東宝を退陣、翌1961年(昭和36年)5月には製作を停止、西本はすでに香港に渡っていた。
1962年(昭和37年)、第15回カンヌ国際映画祭で『楊貴妃』がコンペティション上映され、西本はフランス高等映画技術委員会色彩撮影賞を受賞した。
1966年(昭和41年)以降、日活から井上梅次、中平康、古川卓巳ら監督が香港に招かれ、ショウ・ブラザースで監督作を手がけた際、多くを西本が携わった。
香港では、1974年(昭和49年)までの13年間に、47本を手がけた。
1997年(平成9年)に死去した。満75-76歳没。
●マイケルホイ、西本正さんインタビュー
●香港電影風雲人物録 香港映画を世界に羽ばたかせた男たち(1995年02月19日)1/3 サモ・ハン(洪金寶,Sammo Hung)リー・ハンシャン(李翰祥)西本正(賀蘭山)
●李小龙 BRUCE LEE And Tadashi Nishimoto In Roma Italy 1972 Way Of The Dragon ブルース・リー