唯一無二、不世出のボーカリスト 伊丹哲也さんの「街が泣いてた 1980/2000/2020」聴き比べ! 現在の活動は?

🟣小学生の時、兄が買ってきたレコードで初めて伊丹哲也さんの「街が泣いてた」を聴いたときは衝撃を受けた。

その独特の渋い歌声とメロディを直ぐに好きになった。

それ以来、40年以上、この歌を聴き続けている。

カラオケでも、ここぞと言うときに歌わせて頂いている😃

🟣伊丹 哲也さんのプロフィール


1958年5月25日〜


日本のシンガーソングライター。

1980年に伊丹哲也 & Side By Sideとしてデビュー。代表曲は「街が泣いてた」。

大阪府豊中市に生まれる。

近畿大学建築学科 中退。

幼年期から歌好きでフォークブームの頃にはアコースティックギターでオリジナルも作るようになる。

またアメリカンロックからも影響を受けロックンロール&ブルースバンドのボーカルとして活動、20歳の頃には曲作りが日課になる。

関西8.8ロックデイコンテストに出場してボーカルで個人賞を受賞する。(バンドは予選落ち)

1980年、「SIDE BY SIDE」を結成。当時のメンバーにはCHAGE and ASKA「SAY YES」などの編曲家十川知司がいる。

5月、第19回ヤマハポピュラーソングコンテストに出場し「街が泣いてた」でグランプリを獲得。

同年11月には「伊丹哲也&SIDE BY SIDE」と改名し、第11回世界歌謡祭でグランプリを獲得した。11月28日にポニーキャニオンから「街が泣いてた」でデビューした。その後、アルバムを4枚、シングルを9枚リリースした。1986年解散した。

新たなメンバーとロンドン系のバンド「T.I.auf KINO」を結成した(のちに「KINO」に改名)。音楽性の違いで1988年3月の箱根観光会館のゲスト出演を最後に脱退。ソロとなり2枚のアルバムとシングルをリリースした。

1990年、哀川翔のアルバム「のらいぬ」をプロデュース。ツアーにも参加。

1993年2月5日にはソロコンサート「手のひらのダイアモンド」を日仏会館にて開催。

1999年、目黒ブルースアレイジャパンにてインディーズアルバム「バラとシャンパンとブルース」のアルバム発表のライブを開催する。

2000年から2007年4月まで「我が路上」と題したアコースティックの弾き語りライブを江古田マーキーにて開催。

2017年よりT.I.Beatという別名でも活動。2020年9月よりtwitterを始める。

●提供曲

哀川翔「どしゃぶりの胸」(1990年、作詞・作曲)シングル

●名曲 どしゃぶりの胸

●ツアー参加

哀川翔「のらいぬ全国ツアー」(1990年)

中島みゆき「中島みゆきCONCERT TOUR ’93『EAST ASIA』」(1993年)

●出演番組

オールナイトニッポン水曜2部(1981年10月から1982年3月31日深夜)

🟣伊丹哲也さんのオフィシャルサイト

TETSUYA ITAMI OFFICIAL WEB SITE

🟣ご本人のSNS

伊丹哲也(@mukuchinabeat) – Twitter

fightingrecords – YouTubeチャンネル

T.I. Beat OFFICIAL – YouTubeチャンネル

🟣T.I. Beat OFFICIAL Youtube

https://m.youtube.com/channel/UCFvHioj-HcD5KJrqr06AvlA/videos

🟣ザ・ベストテンに出演

1981年、近畿大学 建築学科に在学中の22歳の時に出演し、「街が泣いてた」を歌った。1980年秋に世界歌謡祭でグランプリ受賞。

🟣街が泣いてた 伊丹哲也 & Side By Side

🟣街が泣いてた/2000年/伊丹哲也/ Tetsuya Itami/Oh,My good bye town

🟣街が泣いてた2020 T.I.Beat

🟣金尾よしろうの音楽魂 2020年12月11日

・ザ・ベストテン出演時の話し。サングラスを外して出たのは事務所の指示だった。

・父母のことを歌った「地平線の彼方」を熱唱

🟣伊丹哲也が「僕らのポプコンエイジ・オンライン2021」へ向けて意気込み語る!

🟣僕らのポプコンエイジ ・オンライン2021 Vol.1

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