【香川県古代史】高松市の四国88箇所霊場第83番札所「一宮寺」訪問! 高松での倭迹迹日百襲姫の足跡を追う! 一宮御陵とは?

2022/5/2  快晴

🟣この日は、高松市での倭迹迹日百襲姫の足跡調査で、船山神社、船岡山古墳、田村神社を訪れた後、田村神社のすぐ隣にある、この四国88箇所第83番札所の一宮寺を訪れた😃

●【香川県古代史】 卑弥呼説のある倭迹迹日百襲姫 (ヤマトトトヒモモソヒメ)は高松に住んでいた! ゆかりの地訪問! 田村神社、花泉、袂井、休石! 田村神社の水神にまつわる恐ろしい伝説とは?

●仁王門

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●本堂

一宮寺は、大宝年間(701-703)に法相宗の祖、義淵僧正が開いたと伝えられている。

当初は大宝院と称されていたが、和銅年間(708-715)に諸国に一宮が建立された時、讃岐一宮として田村神社が建立され、その第一別当寺(統括管理職)となった。

その後、行基菩薩が堂塔を修復し、一宮寺に改めたとされています。

大同年間(806-810)には弘法大師さまが四国八十八ヶ所建立の際、一宮寺に訪れて聖観音菩薩を彫刻して設置しました。その尊像を本尊として安置し、四国第八十三番の霊場として真言宗に改めました。

その後、次第に兵乱が起こり、あちこちの寺院が多く滅亡した。

天正年間(1573-1592)には、一宮寺も土佐守の長宗我部の侵攻により兵火にかかり消失したとも伝えられているが、ほどなくして建て直され、江戸時代には高松藩主により田村神社と分けられていまの姿になった。

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一宮御陵
公式HPによると、三基の宝塔で孝霊天皇(こうれいてんのう)、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)の供養塔ともいわれている。

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一宮寺の仁王門を出てすぐ左斜め前に、花泉がある。

花泉(はなのゐ):境内西側、百襲姫命が御手を洗った泉。

田村神社には、その他にも倭迹迹日百襲姫ゆかりの場所がある。

袂井(たもとゐ):境内東側、百襲姫命が熱病に罹った時、侍女が袂を浸して水を奉った井戸。

休石:神社東方三丁、百襲姫命、休息の石。

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以上

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