【昭和のアイドル・グループ】フィンガー5! ミリオンセラー3曲、沖縄出身の和製ジャクソン5! 壮絶人生とは? 晃さんの現在は?

🟣フィンガー5(フィンガーファイブ、Finger 5)

日本の男女混合歌謡アイドルグループ。

主に1970年代に活動した。

沖縄県出身の男性4人と女性1人の5人兄妹が踊りながら歌い、四男の晃は変声期前のハイトーンボイスでメインボーカルを担当し、彼らの歌唱力やルックスなどが人気を博してミリオンセラーとなる。

バンドを自称するも、全盛期は演奏する場がほとんどなかった。

解散後も音楽活動やテレビ出演などを時折している。

◼️略歴


●生い立ち


米国占領下の沖縄で、父親が経営する米兵相手のAサインバーでアメリカのロックやポップスに親しみ、当時小学生の長男・一夫、次男・光男、三男・正男が「オールブラザーズ」としてバンド活動を始める。

晃は「自分と妙子は後から無理やり参加させられた」と述べている。

英語の歌詞は聞こえた音をカタカナでメモし、キーボードは紙に書いた鍵盤で練習した。

父のバーはのちに他の経営者の手に渡るが、21世紀初頭まで存在した写真がテレビや書籍で紹介されている。

●オールブラザーズからベイビー・ブラザーズ、そしてフィンガー5へ


オールブラザーズは沖縄のテレビ番組のコンテストで優勝し、テレビ局のプロデューサーに薦められて1969年に東京都東村山市に移住する。

上京した一家は「歩くのが早い、しゃべるのも早い、お札の色が緑(米ドル)でない」ことに驚いた。

母が自ら車を運転し、日本中の在日米軍基地を回って慰問コンサートを行いながらデビューの機会を待った。

1970年にバンド名をベイビー・ブラザーズに変えてメジャーデビューするも売れずに苦しい時代を過ごし、転校した学校で「売れない歌手」と悪口も言われた。

妙子はそれまで着たことがない琉球王朝時代の服を着せられ、晃はその時期に出した曲にタイトルさえもう覚えていないものがあるという。

不遇の末に沖縄に戻る準備をしていた頃、子供に向けて子供の歌手をデビューさせる企画を描く担当者が彼らの存在を知り、「少し出来るだけのガキだろう」と思いながらデモテープを聴いて「これは本物だ」と驚いて彼らを説得し、1972年に再デビューする。

米国で当時大ヒットしていた同じ5人兄弟で結成されたジャクソン5を意識し、母親が「フィンガー5」と名付けた。

●黄金時代


初めてのテレビ出演は子供の視聴が多い土曜の夕方に放映され、放映直後はテレビ局に問い合わせの電話が殺到した。

1973年に世志凡太がプロデュースし、漫画家の水島新司がレコードジャケットのイラストを手掛けた「個人授業」を発売すると、ミリオンセラーとなり一気に知名度が上がる。

その後「恋のダイヤル6700」「学園天国」などをリリース、いずれもミリオンセラーとなった。

テレビ・映画にも多く出演した。楽曲のテーマは学校における恋愛で一貫していた。

5人の中でも特に、年少の晃と妙子に注目が集まった。

デビュー当時は11歳と10歳で、あどけない姿でステージをこなす姿が人気となった。

晃がトレードマークとした特大のサングラスが流行した。

自らの意思で活動を始めたこともあり、一夫がマネージャーを兼任し、仕事の交渉やスケジュール管理もこなした。

大人気によるハードスケジュールのために晃が過労で入院すると、病床の写真が週刊誌に掲載され、医師は関係者に「あなたたちは、この子を殺すつもりか」と告げた。

晃が変声期で「声変わり」を防ぐため、関係者らが女性ホルモンの注射を強く勧めたが本人は断った。

●その後
1975年に長男の一夫がマネージャーに専念するために脱退し、代わりに甥で長女の息子の具志堅実が加入する。

ハードスケジュールは限界に達し、休養も兼ねて1975年から1976年に米国に留学する。

これまで芸能活動で得た収入は、渡航費用で全て使い切った。

芸能活動に一切口を出さなかった父の「芸能界で稼いだ金など、あぶく銭だ」とする考えも反映されていた。

帰国後は、長く日本を留守にしていたこと、メインボーカルの晃が変声期で従来のようなハイトーンが出せなくなったこと、彼らのやりたい音楽とファンのニーズが乖離してヒットに結びつかないことなどから人気が急落した。

後の晃の述懐によると、どうすれば売れるかは分かっていたがそれは自分たちがやりたくないことであり、割り切って自分たちのやりたいことをやろうとしたら売れなくなったという。

末期は晃に代わり妙子をメインボーカルに据えたり、バンドとしてメンバー自らの演奏を前面に出すなどを試みるも人気は回復せず、1978年に実質的に解散した。

その後メンバーの一部は、ザ・フィンガーズなど、いくつかのバンドを結成し活動するが、大きくブレイクすることはなかった。

2003年の「The 30th Anniversary!!」で、兄弟5人でフィンガー5を再結成し、全国から大勢のファンが集まった。

なお、90年代初頭に市東亮子が、彼らをモデルにした「超ド級無敵アイドル戦隊 バトルフィンガーファイブ」という作品を描いている。

🟣個人授業

🟣恋のダイヤル6700

🟣学園天国

🟣フィンガー5 ずうとるび 恋のダイヤル6700 みかん色の恋 榊原郁恵

🟣2003年テレビ出演 晃 42才 

🟣フィンガー5 バンプ天国、恋の大予言、恋の研究、上級生 I LOVE JAPAN

🟣吉田豪の解説 

●フィンガー5時代の壮絶人生とは?

🟣晃さんの現在は?

玉元 晃(たまもと あきら)

1961年5月9日 –

日本の歌手・ミュージシャン。

沖縄県具志川市(現・うるま市)出身。

1970年、ベイビーブラザースでキングレコードからデビュー。

その後、フィリップス・レコード(日本フォノグラム)に移籍し、1973年、晃が当時12歳の時、フィンガー5のメインボーカルとなり、「個人授業」が100万枚を超える大ヒットを達成し、その後、「恋のダイヤル6700」(158万枚)、「学園天国」(105万枚)と次々にミリオンセラーとなる。

現在は晃としてテレビ、ラジオ出演やライヴハウス等で音楽活動の他、同窓会コンサートや「夢スター歌謡祭 春組対秋組歌合戦」に出演し、全国各地を回っているほか、江木俊夫(フォーリーブス )、あいざき進也、加藤高道(狩人)と共にユニット(TASTE4)を結成し、年に数回、ライブを行っている。

●オフィシャルブログ

https://ameblo.jp/t-akira5/

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