🟣ミスター高橋とは?
ミスター高橋
1941年1月24日 –
日本の作家、小説家、元新日本プロレスのレフェリー、マッチメイカー。
本名は高橋 輝男(たかはし てるお)。
ニックネームは「ピーター」。
『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』の著者。
●経歴
1941年、神奈川県横浜市に生まれる。
元プロレスラー山本小鉄とは幼馴染。
柔道三段、パワーリフティングヘビー級初代日本選手権者。
1963年、プロレスラーに転向。
山口利夫一派としてアジア各地を転戦する。
1972年、山本小鉄の勧誘でレフェリーとして草創期の新日本プロレスに入団。
以来25年余にわたりメインレフェリーとしてアントニオ猪木らの試合を2万試合以上裁き、審判部長、マッチメイカーも務める。
また、NWAの公認レフェリーだったこともある。
新日本プロレスに招聘される外国人レスラーの世話係も担当した。
レフェリー在任中に、『月刊デラックスプロレス』にプロレスラーのリング外のエピソードを題材にした連載「陽気な裸のギャングたち」を持ち、数々の外国人レスラーの陽気な素顔を紹介していた。
『ワールドプロレスリング』がゴールデンタイムで放送していた頃、プロレスがショーであることを悟られないためにあくまでタイムキーパーは自身が行い、時間内に『ワープロ』の試合が終わらないことがあるのはいつも放送時間内に終わるとショーであることが感付かれるために行われた演出であることはプロデューサーの栗山満男にすら明かさなかった。
当時はそれだけ高橋もプロレスがショーであることを知られないように努力していた。
新間寿は「ミスター高橋は大事な試合はまるで任せてもらえなかった」と発言しているが、新間が例として挙げている試合は、ほとんどが他流試合(ストロング小林、大木金太郎戦など)か異種格闘技戦(ウィレム・ルスカ、モハメド・アリ戦など)で、新日本所属レフェリーだった高橋が裁く道理がないものばかりである(ただし、この件については宮戸優光の「いかにレフェリーとして認められていなかったという証明ですからね」という発言もある)。
事実、NWF、IWGPのタイトルマッチなど、新日本の通常の興行における大勝負はほとんど高橋が裁いている。
平成に入ると、長州力の信任を受けたタイガー服部にメインレフェリーの座を譲り、1998年にレフェリーを引退。東放学園高等専修学校の体育講師となる。
2000年前後からプロレス界の裏話をまとめた本を執筆。初回作『プロレス 至近距離の真実』では、広く世間に知られた有名レスラーたちの素顔や意外な一面、そして著者自身の経験談などを綴った。
しかし次作の『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』で、一般には知られていないプロレス界の裏舞台に関する内容を赤裸々に記した。同書は暴露本とされることがあるが、高橋本人はそれを否定して「プロレス界への提言」だとしている。
近年は、プロレスの裏側を題材にした小説『東京デンジャラスボーイ』シリーズなどを執筆している。また、別冊宝島のプロレスムック本に掲載された原田久仁信の劇画に原作を提供している。
2008年11月1日、新日本プロレスのリングドクター林督元が主催する「ドクター林リサイタル」に出演。『流血の魔術 最強の演技 全てのプロレスはショーである』執筆後、公の場では初めて、新日本プロレスの関係者と競演。
●レスラーの人物についての談話
高橋は「ブルーザー・ブロディにとってプロレスはギャラを稼ぐ手段以上の何かであったはずである」と漠然とだが、ブロディのプライドの高さについて評している。
ローラン・ボックのことを技を受けるのが下手な「しょっぱいレスラー」と評した。
トニー・セント・クレアーはアントニオ猪木の延髄切りを受けたら右に出る者はいないレスラーであったという。
1980年代のハルク・ホーガンは人権意識が薄い時代背景もあろうが「ニガー」などの黒人差別用語を日常的に使用していたという。
ドン荒川の「トンパチ伝説」は多くが演技であったと話している。
山本小鉄の「鬼軍曹」「頑固親父キャラ」はキャラ作りであり、実際は堅物ではなく酒、競馬、バラエティ番組への出演を好む一面があったという。
「日本プロレス最強の男は誰か?」という議論において、日本プロレスが存在していた当時大坪清隆というレスラーの名前が挙がることがしばしばあったが、高橋は「最強だったかどうかは分からない」という立場を示している。
●アンドレ・ザ・ジャイアントについての談話
スターがファンに近付きすぎてはいけないという哲学からファンサービスを好まなかったと評している。
「巨体の家系であり家族は全員2m以上の身長がある」というエピソードがあるがこれは虚説であり、実際は隔世遺伝と推測されるホルモン異常が原因であったと伝えている。
高橋によると、酒量はバスでの移動中なら瓶ビール40本程度、食事量は全盛期でも3人前から4人前とのこと。
●アントニオ猪木についての談話
猪木はモハメド・アリとは本当の友情で結ばれてはおらず、2人の間の友情はビジネス上の演出であった、と高橋は主張している。むしろアリの方はアントニオ猪木対モハメド・アリを厄介な出来事としてできるだけ触れないようにしていたという。
猪木が認め評価していたのは藤波辰爾ではなく長州力と話している。
🟣【貴重】ミスター高橋が珍しく出演した浅草キッドと対談したラジオ番組 2002年2月10日放送→動画は全て削除された!
https://m.youtube.com/watch?v=Q5NktJKdJag
https://m.youtube.com/watch?v=ZHJeFKLyowo
https://m.youtube.com/watch?v=gBsf14OU8fA
https://m.youtube.com/watch?v=fvxq9NfnAjw
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🟣ケーフェイ
🟣ミスター高橋 暴露本
🟣暴露本 『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』の影響
●新日本プロレスの業績悪化およびファン離れ
本書はプロレスファンの間で賛否両論の評価をされつつ、およそ20万部といわれる売上を記録した。
井上譲二は、本書によって「それまでグレーゾーンにとどまっていた『プロレス八百長説』に関する議論は、完全に決着してしまったといっていい」と述べている。
井上は「この暴露本によってプロレス界が受けたダメージは小さいはずがない」とも述べており、その理由として著者が「当事者」である元レフェリーで、しかもプロレスの内幕が詳細に描写されていることを挙げている。
井上譲二は新日本プロレスの業績が2002年ころから急激に悪化した事実を指摘し、その原因の一つは本書の出版(2001年12月)であるとしている。
井上によると、プロレスファンには「プロレスというジャンルに対する信者」と呼ぶべき純粋な人間が多く、そうした人間が「騙された」というショックから試合を観に行かない、専門誌を買わないという状況が生まれたのだという。
井上は本書出版後、プロレスファンから『週刊ファイト』編集部に「何十年も猪木にだまされてきた。もうプロレスファンをやめる」、「『ファイト』もグルだったんだな」といった内容の抗議が寄せられたことを明かしている。
ただし井上は本書がプロレス業界やファンに与えた影響について、「極めて重く見る人もいれば、軽視する人もいて、そのギャップはかなり大きい」とも指摘し、「このことは、あの本が出版された当時、すでに『プロレスの勝敗は100%はじめから決められている』とはっきり認識していた人と、そうでない人、あるいはどっちつかずの人、深く考えていなかった人など、さまざまな立場のファンがそれぞれ拮抗する形で混在していた状態であったことを示しているように思われる。」と述べている。
著名人の中では大槻ケンヂが本書を読んだ後「もしかすると、プロレスというのは一生ものではないんじゃないか?」と感じるようになり、「プロレスからの卒業」を考えるようになったと述べている。
高橋によると、大槻は雑誌の企画で高橋と対談した際にも「あの本を読んで、プロレスに台本があるのを知ってがっかりしました。もうプロレスは観ません」と語ったという。高橋は大槻について、「ミュージシャンとしてエンターテインメントの世界に生きる人に、そんな頑なさを見せられたことはひどく残念だった」と述べている。
高橋は井上譲二が指摘するような、新日本プロレスに与えた影響について、本書出版の数年前から「新日本プロレスそのものが、迷走の色を濃くしていったのは否定できない」と述べ、2002年に体力的に劣る(高橋によると、女性アスリートの体力および筋力は男性アスリートの70%ほどだということが運動生理学上立証されているという)はずの女子プロレスラージョーニー・ローラーが同団体所属の男子プロレスラーを次々と倒したアングルは、かつての新日本プロレスでは考えられないことであり、「プロレスには台本があることを、身をもって示している行為」であると指摘する。
さらにその後「新日本プロレスの現役選手が、『ショー』であることを公言する『ハッスル』や『西口プロレス』、『マッスル』などのリングに上がり、互角の戦いを繰り広げたりもしている」と指摘、「プロレスがショーだとカミングアウトするよりもひどい形で、自らプロレスを貶めていることになる」と新日本プロレスを批判した。
高橋はこれらの「すべてを咎めようとしているわけではない」としつつ、「プロレスがショーだということをどこまでも認めず、私の存在を抹殺したがっている一方で、そんなことばかりをやっている現実に、大きな矛盾を感じざるを得ない」と述べている。
高橋は「選手がどこかの団体のリングに上がるというのは、その団体のスタイルを認め、マッチメイクに従う、と承諾したのと同じこと」と主張する。