【タブー・全日本プロレス事件動画】ジャンボ鶴田がガチギレした試合は? 鶴田の殺人パワーボムで天龍が失神した瞬間! 鶴田が仲野に高角度危険バックドロップ! 鶴田が三沢に鼓膜を破られガチギレ!

🟣プロレスの隠語で アングル は試合展開やリング外抗争など事前に決められていた段取りや筋書き。

試合自体の進行は ブック と言う。

ガチンコ は真剣勝負を意味する、同義語はガチ、シュート セメント ピストル。

🟣川田対高山

●最初、高山はガチ

🟣鶴田 vs 天龍

●鶴田ガチギレ→パワーボム→天龍失神

18:00から鶴田対天龍源一郎の第四戦

◼️ジャンボ鶴田 vs 天龍源一郎 戦歴

第1戦 1987年8月31日 日本武道館 天龍がリングアウト勝ち

第2戦 1987年10月6日 日本武道館 天龍が反則勝ち

第3戦 1988年10月28日 横浜文化体育館 鶴田が反則勝ち

第4戦 1989年4月20日 大阪府立体育会館 三冠ヘビー級選手権。鶴田がパワーボムからの片エビ固めでピンフォール勝ち。

第5戦 1989年6月5日 日本武道館 三冠ヘビー級選手権。天龍がパワーボムからのエビ固めでピンフォール勝ち。

第6戦 1989年10月11日 横浜文化体育館 三冠ヘビー級選手権。鶴田がパワーボムをウラカン・ラナで切り返しピンフォール勝ち。

第7戦 1990年4月19日 横浜文化体育館 三冠ヘビー級選手権。鶴田がバックドロップ・ホールドでピンフォール勝ち。

天龍は第7戦目を最後に全日を退団し、新団体SWSに移籍。

若手時代の2引き分けを除けば、鶴田側から見ると4勝3敗で鶴龍対決は終了した。

互いの人生観、プロレス観をもぶつけ合う戦いとなった鶴龍対決は長州離脱後に人気が低落した全日を再び活性化した。

全日の日本武道館大会に超満員札止めマークが点火したのも鶴龍対決からであり、その攻防の激しさはのちの三沢光晴らの四天王プロレスに受け継がれていくなど、影響は大きかったといえる。

◼️エピソード

🔸第1戦と第5戦はその年のプロレス大賞のベストバウト(年間最高試合)に選ばれている。

🔸第4戦では天龍の執拗な喉元へ逆水平チョップと張り手に我を忘れて激怒した鶴田がのちにジャンボリフトと呼ばれる高角度のハイスピード垂直落下型のパワーボムで天龍を失神させてしまった。

このパワーボムについて天龍は引退直前のインタビューで「あれはジャンボが汗で滑っちゃったんだと思います。でもそれについて今更とやかく言うつもりはありません。僕も長州とのシングル2戦目でパワーボムが汗で滑って垂直に落としてしまい、彼が長く首を痛める原因を作っちゃいましたから(笑」と語っている。

🔸天龍は週刊大衆のインタビューで、自身のレスラー人生のベストバウトとして、最後の戦いとなった第7戦目を上げている。

◼️1989/4/20 ジャンボ鶴田のパワーボムで天龍源一郎が失神











🟣仲野、谷津 VS 鶴田、天龍

●仲野がトップロープから鶴田に顔面にミサイルキック、鶴田がキレて急角度のバックドロップ

🟣鶴田、渕 対 川田、三沢

●鶴田ガチギレ

1990年8月19日の後楽園ホール

タッグマッチで、三沢の張り手で鶴田の左鼓膜が破れるアクシデント。

鶴田はガチギレして、三沢に襲い掛かり、淵の制止を振り切り三沢にバックドロップ3連発。

試合は、川田が渕の回転エビ固めを切り返して超世代軍の勝利。

控室に運びこまれた三沢はコメントができないほどの大ダメージを受けていた。

試合後、淵曰く、「天龍さんですら、そこまで怒らせなかったのに三沢はそれをやってしまったね。俺でも止められなかったよ。試合は負けたけど“ジャンボ鶴田強し!”の印象が残ったよね」

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