オバケのQ太郎 (1965年作品、モノクロ版)

🟣オバケのQ太郎 第1作アニメ

1965年8月29日から1967年3月26日まで、TBS系列にて毎週日曜日19時30分から20時にかけての「不二家の時間」枠で放送。

1967年4月5日から同年6月28日までの間はTBSなどで毎週水曜日18時から18時30分にかけての枠で放送された。

全95話。モノクロ作品。

原作人気が高まる中での放送開始だったため、初回から30%以上の視聴率を記録。

主題歌の『オバケのQ太郎』はミリオンセラーとなり、石川進が歌う主題歌『オバケのQ太郎』は、1966年第8回日本レコード大賞童謡賞を受賞した。

「不二家の時間」枠の放送は、前番組の『ウルトラQ』と合わせて他局から「恐怖のQQタイム」と呼ばれるほどの人気番組となり、「オバQブーム」の一端を担うこととなった。

放送が水曜18時の時間帯に移動した後も人気は続き、放送終了後も子供をはじめとする視聴者から番組継続の要望が多く届いたため、TBSは1969年3月まで同枠で再放送を行う異例の事態となった。

放送前の1965年8月22日には、前夜祭のような特番『オバQ誕生』が組まれ、杉並公会堂で収録が行われた。

ここでは、舞台劇としてQ太郎誕生のエピソードが放送されていたため、第1回放送ではQ太郎が既に大原家に住んでいるところから始まっている。

鈴木伸一によると、パイロットフィルムはスタジオ・ゼロが制作したが、現場では能力不足と言われ関われなかったということである。

このパイロットフィルムの内容は、国産生活ギャグ漫画をアニメ化した前例がなかったことから『鉄腕アトム』風の未来的な街に住んでいるという設定にされた。

だが、その映像を見た藤子両人は内容の改変に違和感を覚えたため、実際に東京ムービーで制作・放送された際は原作通りの設定で作られた。

当時スタッフの一人だったおおすみ正秋によると、リミテッドアニメーションだった影響で製作には小津安二郎の演出技法が多く取り入れられたという。

初のアニメ化だったことから、Q太郎のキャスティングは難航した。

低い声の田の中勇か甲高い声の曽我町子かでスタッフは録音直前まで大いに迷い、曽我に決まったという。

なお、田の中は正太のパパ役で出演している。

放送初期は、ヒーローものアニメがまだ全盛期の時代であったためQ太郎の性格が多少好戦的なものになっていた。

また、正太やP子は、キャラクター設定が原作と大幅に異なっており、当時原作に未登場だったU子、O次郎は登場していない。

本作は放送枠移動まで不二家が一社独占のスポンサーに付いたため、本作および次作『パーマン』、次々作『怪物くん』では、オープニングとエンディングでペコちゃん(声:斉藤尚子)と共演していた(『東京ムービー主題歌大全集』収録の映像はペコちゃん登場部分がカットされたものであるため見ることはできない)。

エンディングで使用された『オバQ音頭』のシネテープでは共演していることが伺える。

また、不二家は当時80億以上の売上を記録したが、その内の75%にオバQが関連していたという。

放送枠移動直前に放送された第83話「Qちゃんパーマン大かつやくの巻」(1967年3月26日放送)には、「不二家の時間」枠の後番組である『パーマン』の宣伝としてパーマン1号がゲスト出演をしている。Q太郎と正太がギャング団に誘拐され、Q太郎が助けを求めると、パーマンが駆けつけて2人が助け出されるという内容。

この時のQ太郎とパーマンの会話は「君は来週からじゃないか」「僕、あわてんぼうだから1週早く出てきちゃった」というものである。

『TVジェネレーション』、『決定!これが日本のベスト100』、『大胆MAP』等、懐かしのアニメ特集番組で映像が放送されたことがある。

再放送は過去に何度かあり、1979年には読売テレビで平日朝の7時半から第2作、8時から本作が再放送された時期があった。

2021年現在は、再放送および本編のビデオソフト化などは一切行われておらず、視聴困難な作品となっている。

ただし、VHS・LD「東京ムービー アニメ主題歌大全集・第1集」にはオープニングとエンディングが収録されている他、上述の通りバラエティ番組の特集などで部分的に映像が使用されたケースもある。

https://youtu.be/YXfUAUgaQWk

🟣オバケのQ太郎 第1作 モノクロ

●OP ED

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