源義経に寵愛された静御前と母、磯禅師の終焉の地を訪ねて! Part3 (香川県木田郡三木町の静薬師庵。偶然、和爾賀波神社に辿り着いた、本殿裏の森はパワースポットか⁉︎)


訪問日: 2020/11/17

最終更新日: 2020/11/17

🟣長尾駅から静薬師庵

香川県木田郡三木町にある鍛冶池のほとりに老松の木立ちに囲まれて「静薬師庵」がある。

源義経が寵愛した静御前の墓と伝えられる五輪塔がある。

奈良県の吉野で、義経と別れた後、神奈川県の鎌倉、京都を経て、讃岐の長尾寺で得度して尼となり、この地で亡くなったとされる。

静御前が、讃岐に来たのは、母の磯禅師が香川県東かがわ市丹生の小磯出身であったためとされる。

静薬師庵は、静御前終焉の地。静御前と侍女 琴路のお墓がある。

この薬師庵で静御前は、今から約800年前に、この地で自給自足の生活を送り、24歳の若さでこの世を去ったのか。。。

🟣奈良の吉野で源義経と別れた静御前は、文治2年(1186)9月中旬、神奈川県の鎌倉から京都へ帰ることを許され、傷心のうちに母と共に京都の法勝寺の一室に一時身を寄せた。

その後、翌年の春から夏にかけての頃、母と共に母の故郷である讃岐の国へと向かった。


讃岐へ帰ってからの静は母の生家、香川県東かがわ市小磯の長町家の屋敷でしばらく静養していたが、すでに母の両親は他界しており、母と共に寺社遍歴の旅に出た。

お遍路の旅に出た親子は、志度寺や八栗寺、屋島寺、六万寺など屋島合戦ゆかりの寺々などで、義経の戦いの跡を偲ぶとともに、そこで亡くなった将兵たちの菩提を弔った。


そして、文治4年(1189)3月20日、長尾寺(四国霊場第八十七番札所)に参拝したとき、9代住職の宥意和尚から「いろはうた」などによって世の無常を諭さされ、母とともに得度を受け、剃髪して尼となった。

母は磯禅尼、静は宥心尼と名乗った。

この後、義経からもらった形見の鼓を煩悩の種と思い切って川へ捨てた。

長尾寺の境内に、静御前が剃髪した際の髪が埋められている剃髪塚がある。


それからの静は母の縁者がいたといわれる現在の香川県木田郡三木町井戸中代(なかだい)に行き、鍛冶池(かじいけ)という池の畔にささやかな草庵を結んだ。

その後、静と母は、京都から追ってきた静の侍女であった琴路(ことじ)と共にひたすら念仏三昧の月日を送った。

この静薬師庵は、香川県木田郡三木町の鍛治池のほとりに今も残る。静御前、静御前の子、侍女の琴路の墓がある。


建久元年(1190)11月、母の磯禅尼は長尾寺からの帰りに、井戸川のほとりで倒れ、69歳で亡くなった。

この場所は、長尾駅から歩いて10分くらいの県道10号線沿いにある。

1年余りの後、静も母の後を追い24歳でこの世を去った。

静が亡くなってから7日目の夜、琴路もまた後を追うように鍛冶池に入水して相果てたと伝わる。

🟣和爾賀波神社(わにかわじんじゃ)

本殿の裏。鳥がさえずり、木々に囲まれた森。ここからは、何か神聖な雰囲気を感じた。この奥は、飛んでいる粒子が細かそう。

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