⬛️Episode1:昭和天皇へ料理献上

1972年撮影。香川県東かがわ市にあるレストラン・オリエンタル内にて。当時、県内では珍しかった顧客の目の前でステーキを焼くオープン・キッチン・スタイルだった。

■昭和天皇へ料理献上:

日本が高度経済成長期にあった昭和30年代、神戸元町のオリエンタル・ホテルにて1つのプロジェクトチームが結成された。

その目的は、昭和天皇がオリエンタルホテルで宿泊する際の料理を作り献上することであった。

当時関連ホテルも含め500人余りいたコックの中から5名が選抜された。

選抜メンバーは、第12代総料理長である伊藤孝二氏、石坂勇氏(後に名誉総料理長)、梶谷氏、森功、梅田氏の5名であった。

選抜メンバーは、料理を作る1ヶ月前から兵庫県職員立会のもと、健康診断、検便などの検査、そして、戸籍などの身元調査が開始された。

当時、東かがわ市の森功の実家にも調査員が訪れた。

1週間前になるとホテルから外へは出られず、缶詰状態となり、抗生物質の投与が開始された。

料理に使う調理道具類は、全て大きな鍋に沸騰させた熱湯で絶えず煮沸消毒された。

昭和天皇へ実際に提供された料理は、神戸牛、明石の鯛など最高級の食材数種類の一番美味な箇所が少量ずつ献上された。

神戸牛は元町で現在も営業を続ける創業明治6年の「森谷商店」から提供された。

昭和天皇に献上された牛は、前日、元町通りをパレードして練り歩いた。

天皇の晩餐終了後には各メンバーに対し、十六菊花紋の印がはいった御賜の煙草が配られた。

■オリエンタル・ホテル勤務時代:

1958年9月5日。 石原裕次郎と北原三枝。 オリエンタルホテルにて。

1959年4月28日(昭和34年)。第12代総料理長 伊藤孝二氏(左)とともにホテル5階にて。 背後にある歌碑は、1956年(昭和31年)に昭和天皇が神戸に来た際、 旧オリエンタルホテルの屋上から、 神戸みなと祭・海上提灯行列の夜景を見た印象を、 翌年(昭和32年)、 宮中歌会始の儀に「灯」の御題のもとに詠んだもの。

オリエンタル・ホテルにて勤務した期間、昭和天皇、皇后、皇太子、財界、政界の著名人、石原裕次郎に代表される芸能人、ジーン・バッキー投手を始めとする阪神タイガースの選手面々、当時、来島ドック社長であった坪内寿夫氏、そして、作家の安部譲二氏の父親である安部正夫氏らに料理を提供した。特に安部正夫氏は神戸牛のステーキを好んで食し、頼まれて安倍さんの自宅まで届けたこともあった。石原裕次郎さんには、軽食をという注文があり、特製クラブサンドイッチを作って提供した。

(当時、オリエンタルホテルの第5代社長に就任していたこの日本郵船の安部正夫氏が、 「港街・神戸のシンボルに」と、 日本で初めてホテルの敷地内に建つ公式灯台を設置した。この灯台は、今も神戸メリケンパークオリエンタルホテルに残る。)

またオリエンタルホテル勤務期間、辻調理師学校、芦屋の料理教室での講師も務めた。

1962年4月20日のディナーメニュー

レシピノート

レシピノートの中身

⬛️森 功 (もり いさお):

1938年(昭和13年)5月15日~2013年(平成25年)9月3日 永眠。

香川県大川郡大内町馬篠(現、東かがわ市馬篠)生まれ。

旧・神戸オリエンタルホテル出身の西洋料理人。

18才の時、香川から単身、神戸へ渡り、神戸元町の旧居留地にあったオリエンタル・ホテルにて働き始める。

1972年10月18日(昭和47年)に、故郷の香川県東かがわ市にてステーキレストラン オリエンタルを開店。

大志を抱いた18歳から亡くなる75歳までの57年間、明治時代から受け継がれる伝統の味を守り続けることに全精力を傾け、生涯 一料理人としての人生をまっとうした。

■旧・神戸オリエンタル・ホテルとは?
神戸オリエンタルホテルは、明治以降、日本で最高レベルのホテルの一つであり、また最高の料理が味わえる場所として有名だった。

外国人居住者、外国人観光客だけでなく、日本の財界、政界人も上流社会の社交場として利用していた。

その歴史を振り返ると、1889年(明治22年)に『オリエンタル・ホテル』に宿泊したイギリスのノーベル賞作家 ラドヤード・キップリングは、『オリエンタル・ホテル』の料理を「世界最高峰の料理だ」と絶賛した。

戦前のオリエンタルホテルのロビー

戦前のオリエンタルホテルのレストラン

戦前のオリエンタルホテルのパンフレット

1922年(大正11年)、アインシュタイン博士が来日した際に滞在。

1924年(大正13年)11月には神戸に来た孫文が滞在した。この時、孫文は「大アジア主義」と題した有名な演説を行い、また頭山満とオリエンタルホテルにて2日間に渡って会談している。

1937年(昭和12年)、ヘレン・ケラー(1880~1968)が、来日した際、住友男爵の神戸の別荘に数日間滞在したが、住友男爵はオリエンタルホテルのシェフに彼女のための食事を準備させた。 ヘレン・ケラーは後年、「これまで食べた中で一番美味しい料理だった。」と書いている。

1948年(昭和23年)に完成した谷崎潤一郎の作品「細雪」にはオリエンタル・ホテルが幾度も登場する。

1954年(昭和29年)には映画女優マリリン・モンローと大リーグの名選手ジョー・ディマジオが滞在した。

そして、1956年(昭和31年)以降、昭和天皇が神戸に来た際に滞在、食事をするホテルとなった。

歴代の料理長には、『帝国ホテル』の礎を築いた内海藤太郎氏や、『築地精養軒』の全盛期をもたらした鈴本敏雄氏、岡山広一氏、田上舜一氏といった、日本の西洋料理史に名高い名料理人が務め、往年期は「日本の西洋料理といえば東の帝国ホテル・横浜ニューグランド、西のオリエンタルホテル」と言われた関西屈指の名門ホテルであった。

■旧・神戸オリエンタル・ホテル歴代料理長:
ルイ・ベギューがオーナー兼シェフを していた「オテル・デ・コロニー」の料理長に就任し、このホテルが、後に「神戸オリエンタルホテル」となり、黒沢為吉が初代料理長に就任する。

日本の西洋料理史に名高い伝説のシェフ達が歴代の料理長を務め西日本屈指の名門ホテルとしてその名を馳せた。

第1代料理長:黒沢為吉
第2代:羽谷寅之助
第3代:米沢源兵衛
第4代:鈴木卯三郎
第5代:鈴本敏雄(1890~1967)『築地精養軒』の全盛期をもたらす 
第6代:杉本甚之助(阪急百貨店食堂顧問、宝塚ホテル料理長など歴任、宝米ピラフの考案者)
第7代:内海藤太郎(1874~1946)『帝国ホテル』の礎を築く
第8代:木村健蔵(東洋ホテル料理長)
第9代:岡山広一(倉敷国際ホテル総料理長)
第10代:田上舜三(倉敷国際ホテル総料理長)
第12代:伊藤孝二
第-代:石坂勇(神戸オリエンタルホテル名誉総料理長)

1962年5月19日(昭和37年)。 比叡山にて。第12代総料理長 伊藤氏(左)。

2002年1月13日撮影。第12代総料理長 伊藤孝二氏を偲ぶ会。神戸メリケンパークオリエンタルホテルにて。